• 日々のみ言葉 2017年7月24日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年7月24日(月)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書10章33節~35節】
    10:33「ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
    10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
    10:35 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』」

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、イエス様が話された「良きサマリヤ人」のたとえについて学んで行きます。

     前半の部分は、
    「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
     たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
     同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。」と言うことでした。

     そこへ、何と「サマリヤ人」が通りかかったのです。イエス様は、なぜユダヤ人ではなくサマリヤ人としたのでしょうか。
     実は、これには深い意味が隠されているのです。

     当時のユダヤの人々は、人間を二種類に分けていたのです。同胞のユダヤ人だけが、隣人の資格を持つのであり、異邦人やサマリヤ人は、その他の人間であって、彼らは人間ではなく、忌み嫌うべき存在であったのです。

     この事は、次のことからも明白です。
    『さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸にはいらなかった。(ヨハネの福音書18:28)』

     彼らとは、サンヘドリンの指導者であり、祭司長たちです。イエス様を引き渡しに来た時、総督ピラトの官邸には入らず、仕方がなくピラトが外に出て来ると言うわけです。つまり異邦人の家に入ることは、それだけで汚れることなのです。

    『そこで、そのサマリヤの女は言った。
    「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」
     ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。(ヨハネの福音書4:9)』

     これはイエス様と、ヤコブの井戸に水を汲みに来たサマリヤの女との会話です。なぜユダヤ人はサマリヤ人とはつきあいをしなかったのでしょうか。以前は同じ民族であり同胞であったのですが、雑婚によって、もはや異邦人と同じ扱いをされていたからです。

     今でも、正統的なユダヤの人々は、同じ民族だけが同胞と考えています。メシヤニック・ジューの人々以外は、旧約聖書(ユダヤ聖書)の時代に生き続け、そしてメシヤが来ることを待っているのです。何と言うことでしょうか。救い主は、すでに来られたのに。
     
     イエス様に質問した律法の専門家は、「サマリヤ人」と聞いただけで、相当怒りを増したに違いありません。
     明日も同じ箇所から考えて見ることにしましょう。》

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