◇◆◇日々のみ言葉
2017年7月31日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書11章1節】
11:1 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
◎ショートメッセージ
《今日からルカの福音書は、11章に入ります。1節から4節は、「主の祈り」についての学びとなります。
マタイには、
『「また、祈るとき、異邦人のように同じ言葉を、ただくり返してはいけません。彼らは言葉数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
だから、こう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕(マタイの福音書6:7~6:13)』と書かれています。
これは明らかに場面が違っています。特にマタイの福音書では「山上の垂訓」に含まれています。「山上の垂訓」こそ、主イエス様に従う者への教えの集大成なのです。特にイエス様は、十二使徒に向けて語られたとも言えます。
さて、ここで登場する「弟子のひとり」とは、いったい誰のことを指すのでしょうか。十二使徒のひとりではないことは間違いありません。もしかしたら七十人の中のひとりの弟子であったかも知れません。とするならば、彼は「山上の垂訓」の時には、まだ救われておらず、「主の祈り」を知らないことが考えられるのです。
「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
当時のユダヤ教では、有力なラビは、自分たちの学派特有の祈祷文を作っており、バプテスマのヨハネも、その集団の為の特別な祈祷文を持っていたようです。
そこで、主イエス様によって、新たに弟子の仲間に加えられた一人の弟子が、質問して来たと言うわけなのです。
「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
ここで大切なことがあります。彼は「祈祷文」ではなく、「祈り」を教えてください、と言っていることなのです。つまりお題目ではなく、本当の祈りをです。なぜなら、彼の目の前で、主イエス様が祈っておられたからなのです。》