◇◆◇日々のみ言葉
2017年7月30日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書10章38節~42節】
10:38さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
10:39彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
10:40ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
10:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
10:42しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
◎ショートメッセージ
《イエス様に取っては、ベテニヤのマルタとマリヤ姉妹とその弟ラザロは、大切な友人でした。それはイエス様が、三十歳になって公生涯を始めるずーっと以前からの関係であったようなのです。
そのことが、バチカン市国にある、一世紀の公的記録に残されています。
マルタとマリヤの二人姉妹とその弟ラザロが、いつ信仰を持ったのかは、聖書からは判断出来ません。考えられる可能性は、公生涯最初の「過越の祭」の時のエルサレム巡礼の時であったと言うことです。
その時には、まだ弟子の数は、ペテロと弟アンデレ、ゼベタイの子ヤコブとヨハネ、そしてピリポとナタナエルの六名ほどであったかと思われます。
とするならば、ラザロのよみがえりは、彼らが信仰を持ってからすでに三年以上の時が過ぎていたことになるのです。
さて、今日はマルタとマリヤの二人姉妹が取った行動について、もう一度整理することにしましょう。
イエス様は、本当にマルタとマリヤとラザロを愛しておられました。それはまことの神様としてもそうですが、一人の人間としても愛しておられたのです。
この三人の姉弟(きょうだい)も、イエス様のことを愛していました。そして「メシヤ」として信じていたのです。
エルサレムに来られるたびごとに、自分の家に泊まってくださるイエス様。心からの持て成しをすることは、当たり前です。なぜなら愛するイエス様が来て下さったからなのです。
これから、いよいよ楽しい夕食の時を迎えようとしていました。マルタは家の主人として采配を振るい、その準備に忙しくしています。それが彼女の役目であったからです。しかしマリヤは、イエス様の側に座り、弟子たちと共に、み言葉に聞き入っていました。
それが彼女の役目であり、また特権であったからです。イエス様への愛を表わす行為は、決して一つだけではありません。誰にも役目があるのです。
マルタの役目とマリヤの役目は、異なっていたのです。
イエス様は、人それぞれにご自身に仕えることを願っておられます。そして誰にでも得意な分野、また賜物が与えられているのです。
自分の持っている賜物、あるいは能力でイエス様にお仕いするのです。人の賜物や、その役目と、自分の賜物と役目とを比較してはならないのです。なぜなら人は、たとえ姉妹であったとしても、全く異なった人格なのですから。
最後に。
イエス様が、ここで一番大切なことを教えておられます。そうです。一番大切なこととは、主の言葉に耳を傾け、その言葉に従うことなのです。
そしてそれこそが、主イエス様を一番持て成すことになるのです。》