• 日々のみ言葉 2017年8月1日(火)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書11章2節~4節】
    11:2そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
    11:3 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
    11:4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日から、ルカの福音書に掲載された「主の祈り」について学んでいます。

     イエス様はある所で祈っておられた時でした。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエス様に近寄って来て言ったのです。

    「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」

     まず、この「ひとりの弟子」とは、一体誰であったのかについて昨日は考えて見ました。もし十二使徒の一人であったのなら、その名前が書かれたはずです。
     以前、イエス様は「山上の垂訓」において、十二使徒たちに、「祈り」について詳細にわたって教えられたことがありました。その内容を、取税人マタイは、明確に書き記しています。

     また、この弟子が質問している「ヨハネ」とは、バプテスマのヨハネを指します。と言うことは、この弟子は、「ヨハネの祈祷文」を知っていたことになるのです。
     そしてイエス様のお側近くにいることが許されているとしたら、この「ひとりの弟子」とは、ゼベタイの子ヨハネか、シモン・ペテロの弟アンデレが考えられることになります。
     しかし彼らは、主イエス様が公生涯を始めたその時からの弟子なのです。彼らは「山上の垂訓」を聞いています。
     それゆえ、私は七十人の弟子の中のひとりであると結論づけたのです。もちろんあくまで私の推測にしか過ぎないことは事実ですが。

     「祈るときには、こう言いなさい。
     『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
      私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
      私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。
      私たちを試みに会わせないでください。』」

     私たちが、普段礼拝において共に心と声を合わせて唱えるマタイ版の「主の祈り」とは、すこし長さが違っており、ルカの福音書の方が短くなっていますが、その内容は、ほとんど同じです。

    「祈祷文」とは、ラビの弟子が毎日、唱えるべき「祈り」を指し示します。それゆえ、私たちは、主イエス様が教えられたこの祈りを、毎日唱えるべきなのです。

     しかし「仏教」のように「南無妙法蓮華経」と、ただ繰り返し唱えることとは違って、私たちは心を込めて、主の御前にひざまずき、霊とまことを持って、この祈りを「父なる神様」に祈るのです。

     主の祈りについて、本当に考察するならば、それこそたくさんの著書が出ているくらいですから、日々のみ言葉では、その深い内容には触れることはいたしません。
     しかし、この祈りを毎日捧げることを本当に実行するならば、大きな力となり実を結ぶことになることを、私はある牧師先生の証として聞いたことがあります。

     今日から、私も再び、「主の祈り」を毎日、しかも早朝に唱えて行こうと思います。あなたも、ぜひご一緒に始めようではありませんか。》
     

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