◎聖書箇所 【ルカの福音書11章2節~4節】
11:2そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
11:3 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
11:4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』」
◎ショートメッセージ
《昨日から、ルカの福音書に掲載された「主の祈り」について学んでいます。
イエス様はある所で祈っておられた時でした。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエス様に近寄って来て言ったのです。
「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
まず、この「ひとりの弟子」とは、一体誰であったのかについて昨日は考えて見ました。もし十二使徒の一人であったのなら、その名前が書かれたはずです。
以前、イエス様は「山上の垂訓」において、十二使徒たちに、「祈り」について詳細にわたって教えられたことがありました。その内容を、取税人マタイは、明確に書き記しています。
また、この弟子が質問している「ヨハネ」とは、バプテスマのヨハネを指します。と言うことは、この弟子は、「ヨハネの祈祷文」を知っていたことになるのです。
そしてイエス様のお側近くにいることが許されているとしたら、この「ひとりの弟子」とは、ゼベタイの子ヨハネか、シモン・ペテロの弟アンデレが考えられることになります。
しかし彼らは、主イエス様が公生涯を始めたその時からの弟子なのです。彼らは「山上の垂訓」を聞いています。
それゆえ、私は七十人の弟子の中のひとりであると結論づけたのです。もちろんあくまで私の推測にしか過ぎないことは事実ですが。
「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。
私たちを試みに会わせないでください。』」
私たちが、普段礼拝において共に心と声を合わせて唱えるマタイ版の「主の祈り」とは、すこし長さが違っており、ルカの福音書の方が短くなっていますが、その内容は、ほとんど同じです。
「祈祷文」とは、ラビの弟子が毎日、唱えるべき「祈り」を指し示します。それゆえ、私たちは、主イエス様が教えられたこの祈りを、毎日唱えるべきなのです。
しかし「仏教」のように「南無妙法蓮華経」と、ただ繰り返し唱えることとは違って、私たちは心を込めて、主の御前にひざまずき、霊とまことを持って、この祈りを「父なる神様」に祈るのです。
主の祈りについて、本当に考察するならば、それこそたくさんの著書が出ているくらいですから、日々のみ言葉では、その深い内容には触れることはいたしません。
しかし、この祈りを毎日捧げることを本当に実行するならば、大きな力となり実を結ぶことになることを、私はある牧師先生の証として聞いたことがあります。
今日から、私も再び、「主の祈り」を毎日、しかも早朝に唱えて行こうと思います。あなたも、ぜひご一緒に始めようではありませんか。》