◇◆◇日々のみ言葉
2017年8月24日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書11章35節~36節】
11:35「だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。
11:36もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、言われました。
「からだの明かりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。」
この言葉は、イエス様の周りにいたパリサイ人や律法学者たち、ユダヤの指導者たちに向けられた言葉ですが、イエス様のすぐ側にいた弟子たちにも語られた言葉です。
目が見えなければ、光は見えません。盲人の方は、真っ暗闇の世界に生きているのです。もし生まれつき盲目であったとしたら、その人は目が見えるようになるまで、光を、そして目が見えることがどのようなことなのか、知ることはありません。
イエス様がメシヤとして、多くの盲人の目を開かれたことは、決して偶然ではなく、ご自身こそが「光」であることを、証明しておられるのです。
イエス様を信じ受け入れた人は、その体の中に光を取り込んだことになります。「光」とは、聖霊様です。
私たちをロウソクにたとえるとしたら、火は聖霊様とたとえることが出来ます。ロウソクは、自分で自分に火を灯すことは出来ません。
聖霊様が、私たちと言うろうそくの芯に、火をつけてくださらなければ、輝くことは出来ないのです。
イエス様が、
「だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。」と言う言葉は、聖霊様を悲しませて、聖霊様の火を消してはいけないと言うことです。
そして次に、
「もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうど明かりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。」
と言うことは、聖霊様に満たされた人生を送っているならば、その人は全身が輝き、その人自身も、また周りにいる多くの人々を照らすことになる、と主イエス様は言われるのです。まさに「世の光」となるのです。
ところで、救われた私たちは、再び暗やみの世界に迷い込むことがあるのでしょうか。なぜならイエス様は、『あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。』と言われているからです。
使徒パウロは言います。
『私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。(ガラテヤ人への手紙6:14抜粋)
イエス様の十字架をいつも見上げていれば、私たちの心に暗闇は決して再びやっては来ません。
しかしイエス様ではなく、この世の富や、名声や、地位などを再び求めるとしたら、再びこの世の闇の力に屈することになるのです。人は、神様と富との両方に仕えることは出来ないのです。》