◇◆◇日々のみ言葉
2017年8月27日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書11章39節~41節】
11:39 すると、主は言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。
11:40 愚かな人たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。
11:41とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。」
◎ショートメッセージ
《ひとりのパリサイ人が、イエスが様に、「食事を一緒にしてください」とお願いしました。そのパリサイ人の名前をあえてルカは伏せています。
尾山令仁先生は、このパリサイ人とイエス様は、もしかしたら親しい関係であったかも知れないと言っています。
なぜなら、当時のパリサイ人や律法学者たちは、何とかしてイエス様を陥れようと謀っていたからです。
イエス様と十二使徒たちは、彼の家に入って、食卓に着きました。そのパリサイ人は、イエス様が食事の前に、まずきよめの洗いをしないのを見て、驚いたのです。
この時、イエス様を招いたパリサイ人だけでなく、この食卓には、他の多くのパリサイ人の同僚たちがいたのです。もちろん彼らも驚きました。
イエス様は、まことの人間でしたが、同時に創造主なる神様でもあられました。瞬時にしてイエス様は、そこに同席していたパリサイ人たちの心を読まれたのです。
そして言われたわけです。
「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。」
これは、彼らが偽善の中に生きていることを、はっきりと宣告したのです。彼らは一見宗教的であり、また確かに忠実に口伝律法を守り、自分たちがユダヤ人の中で、最も正しく清い者であると、自負してはいます。
しかし、彼らは救われていないのです。救い主であるイエス様を信じようともせず、受け入れようともしません。そればかりでなく、何とかイエス様を殺そうとしているわけです。
どんなに外見を取り繕うとも、清い身なりをしようとも、人間は心を清めることは絶対に自分で出来ません。もし人間が己の努力で、清い心を持つことが出来たとしたら、イエス様がこの世に来られる必要もなく、また十字架の御わざは必要ありません。
エレミヤは、はっきりとこう書き記しています。
『人の心は何よりも陰険で、それは直らない。誰が、それを知ることができよう。(エレミヤ書17:9)』
そしてイエス様は、
「愚かな人たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。」と言われたのです。
外側ではなく、内側を清めなさいと言うことです。しかしこれが出来るのは、その人自身ではなく、聖霊様によってだけなのです。》