◇◆◇日々のみ言葉
2017年8月28日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書11章42節】
11:42「だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。」
◎ショートメッセージ
《ここからイエス様は、食卓についているパリサイ人たちに、きつい教えを始められました。
尾山令仁先生は、イエス様に、「食事を一緒にしてください」とお願いしたパリサイ人とは、ある程度の顔見知りであり、また親しい関係ではなかったか、と述べています。 そのパリサイ人は、決してイエス様を陥れようとして、食事に誘ったのではなく、純粋な意味において、イエス様から教えを受けたいと願っていた可能性は、十分に考えられます。
しかし、その食卓の席には、主人である彼の他に、仲間であり同僚のパリサイ人や律法学者たちも同席していたのです。これはある意味では、仕方のないことであったかも知れません。
もしそのパリサイ人が、イエス様と弟子たちだけを招いたとしたら、「お前もイエスの弟子か。」、と疑われてしまいます。そう誤解されない為にも、同僚の同席を認めざるを得なかったのです。
しかし、彼以外のパリサイ人や律法学者たちは、イエス様に対して敵意を抱いている者たちでした。
そのパリサイ人たちに向かってイエス様が言われたのです。
「忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。」
十分の一の捧げ物については、旧約聖書の律法に教えられています。
レビ記によりますと、
『こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。(レビ記27:30)』と書かれています。
また民数記によりますと、
『「あなたはレビ人に告げて言わなければならない。私があなたがたに相続財産として与えた十分の一を、イスラエル人から受け取るとき、あなたがたはその十分の一の十分の一を、主への奉納物として供えなさい。(民数記18:26)』とも書かれています。
当時のイスラエルのパリサイ人や律法学者たちは、穀物や家畜の収入の十分の一はもちろんのこと、それ以上に十分の一を払っていたのです。これはすごいことです。また素晴らしいことです。
しかし、その捧げる心、すなわち動機に問題があることを、イエス様は言われているのです。
すなわち、「人から認められたい。尊敬されたい。自分はこれだけ十分の一を捧げている。」と言う思いからの献げ物でなく、正しい事と神様への愛から、捧げ物をすることを教えておられるのです。
そしてイエス様は、ここで大切な真理を語られました。それは、「ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。」と言うことです。
これは、イエス様が十分の一献金を肯定し、また命じておられることなのです。》