◇◆◇日々のみ言葉
2017年8月31日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書11章45節~46節】
11:45 すると、ある律法の専門家が、答えて言った。「先生。そのようなことを言われることは、私たちをも侮辱することです。」
11:46 しかし、イエスは言われた。「あなたがた律法の専門家たちも忌まわしいものだ。あなたがたは、人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本もさわろうとはしない。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、パリサイ人たちに言われたのです。
「忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。 忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、会堂の上席や、市場であいさつされることが好きです。
忌まわしいことだ。あなたがたは、人目につかぬ墓のようで、その上を歩く人々も気がつかない。」
イエス様のこの言葉を聞いたある律法の専門家が、答えました。
「先生。そのようなことを言われることは、私たちをも侮辱することです。」
旧約聖書の律法を守ると言うことは、具体的にこうすることだと言って、細則を作ったのが律法学者であったからです。
律法学者たちには、実は様々な宗派がありました。その宗派の中でも、パリサイ派の人たちと言うのは、細則を忠実に守ろうとしていた人たちであったのです。その為、ユダヤの民から大きな尊敬を得ていたのです。
ですから、律法学者たちにとって、パリサイ派の人たちが忠実に守っているものを否定されることは、自分たちをも否定されることだと思い、そのように言ったのです。
するとイエス様は、今度は名指しで、
「あなたがた律法の専門家たちも忌まわしいものだ。あなたがたは、人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本もさわろうとはしない。」と言われたのです。
彼らが守ろうとしている「律法」とは、「口伝律法」であり、「昔の人の言い伝え」とも言われています。「ミシュナ」は、編纂された書物でした。そこには膨大な禁止令が書かれてあったのです。
それも守ることが、聖書の律法を守ることだと教えていたのです。しかし実際には、それを全部守ることが出来る人などいるはずもなく、しかも彼らは、その規則の抜け道を作って、うまく逃れていたのです。
ユダヤの一般の人々には、守るように教えているのですが、事実は形だけで中身が伴わず、自分たちは、何一つ守ろうとはしない、とイエス様は言われるのです。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11:28)』
この重荷こそが、律法学者が、ユダヤの人々に負わせたものなのです。そして民衆に負わせた重荷に自分たちは触れようともしないのです。
その重荷を軽くする為に、イエス様は来られたのです。
律法は、次の一言ですべてが語られています。「あなたの神である主を愛せよ。」》