◇◆◇日々のみ言葉
2017年9月6日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章2節】
12:2 「おおいかぶされているもので、現わされないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、このたとえを少なくとも三度、弟子たちに話しておられます。その都度、用い方が若干異なっています。
マタイの福音書では、
『「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。
だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。(マタイの福音書10:24~
10:26)』と書かれています。
ここでは、イエス様は弟子たちに、「弟子たちを迫害する者」を「彼ら」と呼び、警告しています。イエス様とその弟子たちを迫害する者の背後には、悪魔と悪霊が存在していることを教えているのです。
その背後にいる者が、イエス様によって現わされ、また知られるようになると言うことです。
マルコの福音書では、
『「あかりを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。」(マルコの福音書4:21~4:22)』と書かれています。
イエス様と言う「明かり」あるいは「光」によって、隠れているのは、必ず現われ、おおい隠されているのは、明らかにされると言うことを教えています。
そしてルカの福音書においては、パリサイ人や律法学者たちの「偽善」が、やがて明確に現われ、そして隠されてあったとしても、知られることになる、と言うわけです。
パリサイ人や律法学者たちの背後にも、暗闇の勢力が関係しています。イエス様を認めず、受け入れようとしない者たちは、この世の神である悪魔によって、目眩ましされてしまっているのです。
しかし使徒ヨハネは、はっきりと宣言しているのです。
『この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(ヨハネの福音書1:4~1:5)』
すべての人が犯した罪も、そして私たちが犯してきた罪も、すべてが主イエス様の前に明らかにされています。
そして最後の「白い御座の裁き」の場において、すべての人の罪は、その裁判の席に着く者すべてに知れ渡るのです。なぜなら「行ないの書」が開かれるからです。
しかし、主イエス様を信じ救われた者には、その場に、イエス様が弁護人の席に着いて下さいます。そして父なる神様は「いのちの書」を開かれ、イエス様の弁護を聞き入れて、無罪を宣告されるのです。》