◇◆◇日々のみ言葉
2017年9月9日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章6節】
12:6「五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。」
◎ショートメッセージ
《マタイの福音書には、ほぼ同じ内容が掲載されています。
『「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。」(マタイの福音書10:29)』と書かれています。
ルカとマタイとを比較しますと、雀の数が違っています。このことからも、ルカの福音書とマタイの福音書に書かれた、ほぼ同じ内容のイエス様の言葉は、明らかに同一記事ではなく、違った場面において、語られた言葉であることが明白です。
ルカとマタイの福音書を総合しますと面白いことが分かって来ます。
当時のユダヤでは、雀は二羽で、一アサリオンで売られていたことが分かります。しかし五羽の雀は何と二アサリオンだと、イエス様は言われるのです。
本来ならば、四羽で二アサリオンになるはずなのですが、多く買うと、何と一羽おまけがつくと言うわけです。
と言うことは、数にもはいらない、おまけの一羽が存在するわけです。
そして、
「そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。」とイエス様は言われています。
また、「そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。」とも言われるのです。
私たち日本人から見ますと、雀は、決して可愛い鳥ではありません。まあ、カラスよりはましだとは言えますが。
特に稲作農家にとっては、害鳥なのです。収穫前の稲の穂をついばみ、大きな損害を与えるからです。
しかし、当時のユダヤでは、雀は食卓を飾ったもっとも安価で大衆的な食べ物の一つであったようです。おそらく焼き鳥にして食べたのでしょうか。
中学生の頃でしたが、私は一度だけ、雀を食べたことがあります。串焼きにて出されたのですが、ほとんど骨ばかりで、コリコリしていたことを覚えています。決して美味しいとは言えませんでした。
創造主なる父なる神様にとっては、名も無い一羽の雀さえ、大切な存在であると、イエス様は言われておられるのです。
しかし神様の最高傑作は、間違いなく私たち人間なのです。そして神様にとっては、雀よりも、遙かに、比較することの出来ないほどに、大切な大切な存在であるのです。
だからこそ、神の御子イエス様が、身代わりとして十字架に掛かられ死んで下さったのです。
イエス様にとっては、誰もが掛け替えのない存在なのです。》