◇◆◇日々のみ言葉
2017年9月13日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章10節】
12:10「たとい、人の子をそしる言葉を使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、この教えを少なくとも二度、弟子たちに話されました。マタイの福音書、そしてマルコの福音書に記載された記事は、同じ出来事と同一箇所であり、平行記事となっています。
マタイによりますと、
『「だから、私はあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らう言葉を口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」(マタイの福音書12:31~12:32)』
と書かれており、
マルコによりますと、
『「まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」(マルコの福音書3:28~3:29)』と書かれています。
マルコはペテロの説教から福音書をまとめあげましたが、マタイは、マルコの福音書を基にして、自分が直に耳で聞いたこと、また目で見たことを書き足したのです。
三つの福音書をまとめて見ますと、
『人はその犯すどんな罪も冒涜も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、人の子に逆らう言葉や人の子をそしる言葉を口にし、使う者であっても、赦していただけます。』と言うことです。
ここでイエス様が「人の子」と言われているのは、神の御子であるご自身のことです。
もちろん、罪や冒涜を犯した者は、悔い改めなければ赦していただけません。イエス様の十字架の御前にひざまずかなければならないのです。イエス様は、何もしなくても赦される、とは言ってはおられないのです。
日々、悔い改めが必要です。私たちは、まだ肉の中に生きています。まだ罪を犯す者なのです。イエス様の十字架の身代わりの贖いによって、罪赦された、罪人なのです。
もし自分には何も罪が無い、自分は全く聖められている、と誤解するような者がいたとしたら、それはイエス様を二度、十字架につける者なのです。
次にイエス様が言われた真理は、
『「聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」』と言うことです。
創造主なる神様の第三位格であられる聖霊様。このお方だけが、今現在においても、この世に留まっておられます。そして主イエス様を信じる者と共にいて下さるのです。
このお方は見えません。このお方は、神様の力ではありません。このお方は、神様ご自身なのです。人格を備え、喜び悲しまれるお方なのです。父なる神様も、そしてイエス様も特別に聖霊なるお方を大切にしています。
このお方は、助け主であられ慰め主であられます。》