◇◆◇日々のみ言葉
2017年9月18日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章16節~21節】
12:16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ聖書箇所からの学びです。
イエス様が話された「愚かな金持ち」のたとえについて、考えて見ましょう。
「ある金持ちの畑が豊作であった。」
豊作とは、まさに喜びであり、神様の恵みの何ものでもありません。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えたのです。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
これは当然の悩みです。なぜなら彼の倉はすでにたくさんの貯蔵物で一杯だったからです。
それゆえ、
『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。』
これはおかしなことです。貯蔵物で一杯の倉を壊すよりも、新しい倉を建てた方が、効率的ですし、わざわざ中の荷物を運び出して、別の場所に保管する必要もないからです。イエス様は、「たとえ」として、面白可笑しいように設定されています。
『そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
ここから、魂の領域の中に感情があることが分かります。魂とは、その人をその人とならしめている人格、もしくは知性とも言えるでしょう。
「この先、何年分」とは、その人が消費する食料や物ではなく、一年に得ることの出来る収穫やお金の何年分の物が、与えられたと言う意味です。
それこそ数年間、何もしなくても裕福に暮らすことの出来る財産が貯められたと言うのです。この金持ちだけでなく、誰に取ってもまさに安心の何ものでもありません。
すると、神様が彼に語られました。
『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
「おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。」とは、彼が死ぬことを意味しています。それは彼の心臓が止まり肉体に死が訪れ、霊とたましいが取り去られることです。
そして結論としてイエス様が言われたことは、
「自分のために貯えても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
このお言葉は、決して彼だけに当てはまるのではありません。すべての人に向けられています。神様の前に富まない者とは、まことの唯一の神様であられるイエス様を受け入れず、信じない者を指すのです。》