◇◆◇日々のみ言葉
2017年9月19日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書12章16節~21節】
12:16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
◎ショートメッセージ
《一昨日、そして昨日と同じ聖書箇所から、さらに深く考えて見たいと思います。
イエス様は、「愚かな金持ち」のたとえを話されました。しかしこれは、まことの神様を知らないすべての人に当てはまるのではないでしょうか。
私たちは、この世界が創造されたことを知っています。科学者たちは、宇宙も地球もそして生命を持つすべての生き物が、偶然と偶然が重ねって進化したと信じています。
科学者たちは、神様の存在を信じようとせず、すべての事象は科学が解明し証明することが出来ると言う妄想を、実は信じているのです。
また、まだ分からないことは、必ずこれから解明されるはずで、まだその途上段階にあるとも言うのです。彼らは、信じないと言うのですが、本当は敵である悪魔のまやかしを信じているのです。
さて、脱線してしまったかのように見えますが、すべては神様の恵みと言うことなのです。イエス様がたとえで言われた、「ある金持ちの畑が豊作であった」と言うことは、神様の哀れみと恵みの何ものでもありません。
まさにイエス様が言われた通りです。
『天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイの福音書5:45抜粋)』
「神の前に富まない者」とは、
自分の畑が豊作となったことは、自分の力であり、また自分に与えられた土地、奴隷たち、すべてが自分の権威の中に行なわた結果であると、勘違いし思い違いをしている者を指すのです。すべてが自分、自分なのです。自分中心であり、自分のことしか考えません。
これこそが「罪」なのです。自分が神なのです。
しかし、「神様の前に富んでいる者」とは、
自分に与えられた物すべてが、神様から頂いた物であり、委ねられた物であることを知っています。それだからこそ、まず始めに神様に十分の一を、そして感謝の捧げ物をお返しすることが出来るのです。
私たちの命のすべてを握っておられるのは、神様です。主イエス様なるお方なのです。日本の多くの人々は、残念ながら、神様がおられることを知りません。
それにもかかわらず、度あるごとに神社仏閣を拝み、参拝します。彼らが礼拝しているのは、悪魔と悪霊なのです。それすらも分からないのです。これは悲劇です。
本日のみ言葉について、三日間を費やして学びましたが、この「愚かな金持ち」のたとえは、人ごとではありません。主イエス様を知らない、すべての人々に当てはまるのです。かつての私のように。
それだからこそ、伝えなければならないのです。真理を。真実を。イエス様を。》