◇◆◇日々のみ言葉
2017年10月17日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書13章6節~9節】
13:6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
13:7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
13:8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
13:9もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
◎ショートメッセージ
《今日は、イエス様が話された「実のならないいちじくの木」のたとえについて学びたいと思います。
このたとえはルカの福音書にしか書き記されてはいません。イエス様がこの話をされた時、やがてユダヤ人の為に福音書を書くことになるマタイ(レビ)も、またマルコの福音書の基となった多くの説教と教えを語ったペテロも、イエス様のみ側にいましたし、直にその耳で聞いていたはずです。
それにも関わらずマタイとマルコの福音書には省かれたのです。それは、イエス様が語られたターゲットが、パリサイ人や律法学者たちであったからです。
しかしギリシャ人である医者ルカは、同胞のギリシャ人の高官テオピロの為に、起こった出来事を綿密に調べ、時制の順に福音書を書き記したのです。
そしてこのたとえの重要性を考慮し掲載したと考えられます。ルカの福音書は異邦人の信徒の為に書かれたものだからです。
当時のユダヤにおいては、ぶどう園にいちじくの木を植えておくことは珍しいことではありませんでした。特に干しいちじくは、貴重な非常食にもなったからです。また元気な木は、年に二回実(夏いちじくと秋いちじく)をつけたのです。
「ある人」とは、神様を指します。
そして「番人」とは、イエス様を指すのです。
父なる神様は、子なるイエス様に、三十歳頃からメシヤとしての生涯を送らせました。そしてイスラエルに、特に聖都エルサレムに三年の期間をかけて、御わざを行なわせ、「永遠のいのち」について教えられたのです。
それにも関わらず、ユダヤの指導者たちは悔い改めることをせず、イエス様を信じようとはしませんでした。
イエス様が「三年」と言われたことから、あと公生涯も半年を残すばかりとなっていたかも知れません。ただしユダヤの数え方は、日本で言うならば、「満」ではなく「数え」であり、イエス様は三日目によみがえられましたが、それは丸三日ではなく、実際には、一日目、二日目、そして三日目と数えるのです。
よってユダヤ式に数えるなら、イエス様の公生涯は四年となり、その実際の時間が約三年半年であると言うことになります。
このたとえは、パリサイ人や律法学者たちを含むユダヤ人の指導者たちに語られているのです。
明日も引き続き、同じ箇所から学びたいと思います。》