◇◆◇日々のみ言葉
2017年10月18日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書13章6節~9節】
13:6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
13:7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
13:8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
13:9もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所から、「実のならないいちじくの木」のたとえの学びとなります。
まず大切な真理があります。ぶどう園の持ち主が、その農園に「いちじくの木」を植えたと言うことです。その木は勝手に生えたのではないのです。
その木を植えた主人には、もちろん目的がありました。それは実がなり、その実を喜ぶことなのです。
いちじくは、植えられてから三年後には結実します。よってこのぶどう園の主人が、やって来たのは四年目と言うことです。それから五年目、六年目と実を取りにやって来たのに、一回も実を取ることが出来なかった、と言うことが、このたとえなのです。
ぶどう園の持ち主が「いちじくの木を植えたこと」は、「神様がイスラエルを選んだこと」を暗示しています。
そして神の御子であられるイエス様が、メシヤとして聖都エルサレムに遣わされたのです。
ヨハネの福音書によりますと、
『ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。(ヨハネの福音書2:13および2:23)』と書かれています。
イエス様は公生涯において、四度「過越の祭」に聖都エルサレムに上られました。この時は、公生涯を始めてから半年後の時にあたります。この時から、イエス様は弟子たちを伴って「過越の祭」に毎年上られるのです。
最後の都上りは、神の小羊として、身代わりの死を遂げる為に十字架に掛けられる時となります。
それにも関わらずユダヤの指導者たちは、イエス様を信じようとはしないのです。そして、この「たとえ」を話された時は、三度目の「過越の祭」にあたります。
「ぶどう園の主人」である父なる神様は、このように言われるのです。
『これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
しかし番人であるイエス様は、
『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』
と取り成しをされるのです。
この後、「肥やし」である様々な教えをパリサイ人や律法学者たちになされ、また大いなる御わざを彼らに見せることになります。しかし、その結果は?
明日も同じ箇所から、さらに深く学びたいと思います。》