◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月28日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書15章13節~14節】
15:13「それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。」
◎ショートメッセージ
《「放蕩息子のたとえ」の学びの三回目となります。
イエス様はこう話されました。
「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。」
昨日は、この族長である父親が、弟だけではなく、兄にも生前授与したことを学びました。確かに兄は、そのことを望んでいたわけではないのですが、兄も財産の半分を受け取っているのです。
今日はその続きです。
この弟は、莫大な財産を受け取ると、自分の持っている物を何もかもまとめて遠い国に旅立って行きました。
当時は、銀行や電子マネーなどはありませんでしたから、財産は金や銀、あるいは金貨・銀貨・宝石などにして持って行ったと思われます。当然一人旅は危険ですから、僕や護衛の者を連れて行ったことには、間違いありません。
かつてヤコブは、一人で叔父ラバンの所に行きました。その時に父イサクは、かなりの花嫁料を渡したのですが、途中でヤコブは強盗に遭い、財産のほとんどを奪われてしまったのです。それゆえ、リベカの為に七年、そしてさらに七年、その後は羊の群れの為に七年、合計二十一年もただ働きさせられることになったのです。
さて、それだけの財産がありますと、人間は誰もが、同じような道を歩むようです。なぜなら自分で働いたお金ではないからです。
遺産を相続されたのですが、それは父が汗水流して働いたお金であって、彼に取って見れば、まさに「宝くじ」が当たった、と言った具合だからです。
それだけのお金があれば、決まって放蕩三昧の生活を過ごすようになるようです。金目当てに多くの人が寄って来ます。
金があるうちは良いのですが、日本のことわざに有りますように、「金の切れ目が縁の切れ目」となって、気が付いた時には、手元にあった遺産はことごとく消えて無くなり、あれほど周りにいて友と思っていた人たちも、彼から去って行きました。
「泣きっ面に蜂」のことわざのように、調度その時、その国に大ききんが起こり、彼は食べる物にも困り果ててしまったと言うのです。
このような状態になって初めて、人は自分の愚かさに気づくものなのです。しかし、それも「後の祭り」であって、彼は食べる物がありません。
宝くじや、株などで、安易にお金を儲けようとする人が大勢います。しかし自分の手で、汗水流して働いたお金ほど尊いものはないのです。
聖書は、決して怠け者を容認してはいません。「働かざる者は食うべからず」なのです。私たちクリスチャンも、自分の手で、汗水流しながら働くべきなのです。》