• 日々のみ言葉 2017年12月11日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年12月11日(月)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書16章8節~9節】
    16:8「この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
    16:9 そこで、私はあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所から、もう一度考えて見ましょう。

     ここで尾山令仁師の現代訳聖書から同一箇所を引用したいと思います。

    『「ところが、主人は、この不正な管理人が余りにも抜け目がないのを見て、感心しました。確かに、この世の人たちは、この世のことについては、信者たちよりも抜け目がありません。
    よく聞いておきなさい。この世の富を使って、自分のために信仰の友を作ることです。そうすれば、この世の生を終えた時、あなたがたは、永遠の住まいで、その友達と一緒に過ごすことが出来るでしょう。」(ルカの福音書16:8~16:9)現代訳聖書より』

     確かにお金は必要です。

     なぜ人はお金を愛したり、それを求めたりするのでしょうか。それは貨幣経済の世の中においては、どんなものでもお金に換算して物事が評価されるからです。
     日々の生活のためにも、また子どもの教育のためにも、何をするにもそれを自分のものにしようとすれば、お金を払わなければならないからです。

     ところが、生まれながら罪人である私たち人間は、お金が手段として必要であるというところから、お金を得ることを目的とするようになりかねません。
     そういう意味で、お金が大事であることを通り過ぎて、お金さえあれば何でも出来る、もっともっとお金を増やそうという拝金主義になり、お金や富の奴隷となりかねないのです。

     この世の中には、確かにお金で解決出来ることもありますが、お金で解決出来ないことの方が圧倒的に多いのです。
     誰も自分の寿命をお金で買えることはできません。命を買うことはできないのです。

     イエス様は言われました。
    『「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイの福音書16:26)』と。

     箴言にはこう書かれています。
    『あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい、「去って、また来なさい。あす、あげよう。」と言うな。(箴言3:27~3:28)』

     これこそが、信仰の友を作ることになって行くのです。「与えなさい。そうすれば与えられるのです。」

     たとえその隣人が返してくれなくとも、すべてをご存知の神様は、必ず他の人を用いて返してくださるのです。あなたの良い行ないは、決して無駄にはならないのです。
     また神様が、無駄にされるようなことは決してあり得ません。》

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