• 2017年12月10日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2017年12月10日第二主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書13章4~12節前半】  (新約p.189上段右側)
    13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
    13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
    13:6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
    13:7 イエスは答えて言われた。「私がしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
    13:8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もし私が洗わなければ、あなたは私と何の関係もありません。」
    13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
    13:10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
    13:11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。」と言われたのである。
    13:12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。

    ◎メッセージの概要 【弟子の足を洗うキリスト】
    《先週に引き続き、主イエス様がなされた洗足式について考えて見ましょう。まず当時のユダヤの食事は、縁側と言いますか、そのような大きなテーブルの様な場所に寝そべって、肘を立てて丸くなって食べたのです。当然人の足は外側を向いています。本来主人やお客人の足を洗う仕事は、奴隷がしました。しかもユダヤ人の奴隷ではなく、最も身分の低い異邦人の奴隷の仕事だったのです。イエス様は、最後の晩餐の食事の途中に、起き上がって弟子たちの足を洗ったのです。もちろんイエス様のなされた行ないには大きな教えがありました。
     弟子たちの関心は、自分たちの中で誰が一番偉いか、と言うことであったのです。最初にその論議が持ち上がったのが、イエス様がペテロとゼベダイの子ヤコブとヨハネを連れて変貌山から降りて来た時でした。その後、ゼベダイの子らの母が、二人の息子を連れてイエス様の御座の右と左の座に座れることをお願いし、それを聞いた残りの使徒が腹を立て、その後に主イエス様が弟子たちの足を洗われたのです。
     そしてゲッセマネの園に向かう道で、「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。」と新しい命令を下されたのです。クリスチャン同志が愛し合うことを教えておられるのです。
     イエス様は、上着を脱がれ、弟子たちの足を洗った後、また再び上着を着けられましたが、これは十字架の死と復活を象徴しています。
     かつてイエス様は、論議を吹っかけて来たパリサイ人や律法学者たちにこのように教えられました。
    「私が自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父は私を愛してくださいます。だれも、私からいのちを取った者はいません。私が自分からいのちを捨てるのです。私には、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。私はこの命令を私の父から受けたのです。」
     ここで、「命を捨てる」と言う言葉は、「上着を脱ぐ」と同じ言葉が使われていて、また「命を得る」と言う言葉は、「上着を着る」と言う言葉と同じ言葉が使われています。すなわちイエス様が弟子たちの足を洗ったこの行為は、十字架による罪の赦しを象徴し、そして復活による栄光を象徴していることになるのです。
     シモン・ペテロは、「決して私の足をお洗いにならないでください。」と言いましたが、イエス様は「もし私が洗わなければ、あなたは私と何の関係もありません。」と言われました。 これはイエス様が、シモン・ペテロの罪の為に十字架にかかり、罪の赦しを行なうことを言われたのです。
     そしてペテロが、「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」と調子に乗って言いましたが、「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。」とイエス様は答えられました。
     主イエス様の十字架の御わざを信じ受け入れ、バプテスマを受けた者は、すべての罪が赦されることを預言しています。しかし足が汚れることも言われています。これは、日々小さな罪を犯す可能性があり、その罪を主イエス様の十字架の所に、毎日持って行って告白し赦される必要があることをも教えておられるのです。
     そしてイエス様が弟子たちの足を洗われた真の意味は、パウロがローマ人の手紙に詳しく説明しています。
     『あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、命にあって新しい歩みをするためです。』と。》

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