◇◆◇日々のみ言葉
2017年12月10日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書16章8節~9節】
16:8「この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
16:9 そこで、私はあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。昨日は、「この世の子ら」と「光の子ら」について考えて見ました。
さて、「主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた」とイエス様は言われましたが、これはどのようなことなのかについて考えて見ましょう。
まず「不正の富」と言う言葉ですが、ギリシャ原語では「ヘー・マモーナス・テース・アディキアス」と言う言葉が使われています。
実は、新改訳聖書の訳ですと誤解が生じやすいのです。実際に富に、「不正な富」と「正しい富」とがあるのでしょうか。
この言葉から、「正しい富」とは、勤勉に働いて得た報酬を指し、そして「不正の富」とは、人をだまして、あるいは盗んで得た富であるような錯覚が起きる可能性があるのです。
しかもイエス様は、弟子たちに、あるいはすべてのクリスチャンたちに、「不正の富で、自分の為に友をつくりなさい。」と教えているのです。
そうだとしたら、それこそ極端に表現しますと、
『取税人マタイやその弟であるアルパヨの子ヤコブが、イエス様の弟子となって、それと同時に取税人の仕事をしながら、もっとユダヤ人の同胞から税金と称してお金を巻き上げ、その巻き上げた富で友だちを作りなさい。』と言うことを、まるで推奨しているかのように受け取れるのです。
そうではありません。
尾山令仁師は、その著書「現代訳聖書」において、「不正の富」ではなく「この世の富」と訳しています。
お金それ自体は、善でも悪でもありません。しかし聖書は、はっきりと、
『金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(第一テモテ6:10)』と教えているのです。
つまりイエス様は、この世の富であるお金を用いて、友をつくりなさい、あるいは友の手助けをしなさい、と言っておられるのです。つまり与える者は与えられるのです。
また「この世の富」とは決してお金だけではありません。時間もそうですし、また与えられた賜物も、そうなのです。
自分の時間や、神様から与えられている能力や賜物を、他人の為に使うことこそが、永遠のいのちへの、また永遠の住まいへの近道となって行くのです。》