◇◆◇日々のみ言葉
2017年12月9日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書16章8節~9節】
16:8「この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
16:9 そこで、私はあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」
◎ショートメッセージ
《引き続きイエス様が弟子たちに語られた「抜け目のない管理人」のたとえから学びます。今日は、そのたとえの結論にあたります。
ここでイエス様が言われた、「この世の子ら」とは、まだ主イエス様を信じ受け入れていない人々を指します。
このたとえ話を聞いた弟子たちは、この世の人々がどれほどずるがしこいのか、言われなくても十分知っていました。
なぜなら、彼らも主イエス様にお会いするまでは、この世の子らであったからです。
しかし十二使徒の中で、最もその事が骨身に染みて分かっていたのが、二人の取税人ではなかったのではないでしょうか。
ルカの福音書には、
『この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「私について来なさい。」と言われた。
するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。(ルカの福音書5:27~5:29)』と書かれています。
十二使徒の一人となったアルパヨの子レビは、やがてマタイと名前を変えます。また十二使徒の中には、同じくアルパヨの子ヤコブがいたことが書かれています。弟であることは、間違いありません。
なぜなら、シモン・ペテロとその弟アンデレ、ゼベタイの子ヤコブとその弟ヨハネのように、すでに2組の兄弟が存在していたからです。
レビがイエス様を自分の家の食卓に招いた時に、その席に弟ヤコブが同席していたことは全く疑いの無いことです。
兄レビの紹介があった時に、弟ヤコブも主イエス様の招きを受けたと、私は信じるのです。
「この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがない」ことは、言われなくても、この二人の取税人たちは熟知していたことです。主イエス様に出会う前の彼らの主人は「お金」であったからです。
いかに多くの税金をだまし取るか、そして多くの富を貯えて、日々楽しく宴会三昧をするのかが、彼らの日常であり望みだったのです。
また取税人の家には遊女たちも招かれたとあります。よって以前の彼らは、まさに罪深い生活をしていたことは明白と言えるでしょう。
イエス様が言われた「光の子ら」とは、すべてを捨て、イエス様に従って来た弟子たちを指しています。
主イエス様が言われた通りなのです。
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
この世界に生きている人々は、大きく分けますと2種類の人々に分けることが出来ます。
すなわち、「この世の子ら」と「光の子ら」です。
そしてそれは、「永遠の滅び」と「永遠のいのち」に分けられます。
そしてそれは「死」と「生」とにも分けられるのです。
そしてそれは、「地獄」と「天国」とに、さらに「さばき」と「赦し」にも分けられます。
明日も同じ箇所から、イエス様の出された結論について考えて見たいと思います。》