◇◆◇日々のみ言葉
2017年12月14日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書16章13節】
16:13「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
◎ショートメッセージ
《今日は、「抜け目のない管理人」のたとえの最後の学びとなります。
イエス様は、弟子たちにそのたとえの結論を言われました。その結論の最後のお言葉が、本日の「日々のみ言葉」となります。
この言葉をイエス様は、以前にも弟子たちに教えておられます。それは「山上の垂訓」においてです。もう一度、味わって見たいと思います。
マタイの福音書によりますと、
『「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
だから、私はあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、私はあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6:24~6:34)』と、ルカの福音書よりも詳細に渡って、イエス様のお心が書かれています。
と言うことは、人は誰であっても、「神様」に仕えるか、それとも「富」に仕えるか、どちらかを選ばなければならないと言うことになります。
その中立の立場はないと言うことです。すなわち傍観者の席は用意されていないことになります。
「富」に仕えると言うことは、この世の神である悪魔(サタン)に仕えることです。この世の人々が求めている物は、まずはお金です。
もちろんお金は必要です。しかしそれはあくまで目的の為に使用されるものであり、それ自体が目的になってはならないのです。
神様に仕える者は、神様から豊かな恵みが与えられます。必要なものが必要なだけ与えられるのです。それこそが「マナ」であり、「日々の糧」であり、「日々のみ言葉」なのです。》