◇◆◇日々のみ言葉
2017年12月16日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書16章15節】
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれ、きらわれます。」
◎ショートメッセージ
《さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエス様をあざ笑っていました。
それをご覧になられたイエス様は、彼らの方を向いて言われたのです。
「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。」
パリサイ人たちは、いつも人の評判を気にし、人からどう評価されるかばかりを考えていたのです。
確かに律法学者の中でも、パリサイ派に属する人々は、厳格な律法を守っていることに対して、ユダヤの人々から多大な尊敬を受けていたのです。
私たちは、そのパリサイ派の中に、もっとも自分が正しいと主張した人を良く知っています。それがパウロです。
パウロはこう言っています。
『ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。(ピリピ人への手紙3:4~3:6)』
パウロ、いや以前のサウロは、パリサイ派の中でも、もっとも厳しく、また同僚たちからも一目置かれ、絶大なる尊敬を受けていたガマリエル門下の筆頭の弟子でした。そのサウロを主イエス様は、お選びになられたのです。
さてイエス様は、
「しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれ、きらわれます。」と言われています。
彼らは、人々からの賞賛を求めていたのです。人は賞賛を受けるようになると、そういう人々の賞賛によって、神様にも受け入れられているのだと思い込むようになって行きます。
サウロも、主イエス様の教会を迫害し、多くのクリスチャンを捕らえ、牢獄に入れることによって賞賛を得たのです。
私たちにも、その危険性があるのではないでしょうか。人々から賞賛を受けたりすると、やはり高慢の芽が出始めるのです。
私たちは、自分の心を見張らなければなりません。賞賛と栄光は、主イエス様だけがお受けになられるべきなのです。
神様は、私たちの心をすべてご存じです。ごまかすことは出来ません。
私やあなたの心の中には、何がありますか。神様への愛で一杯だとしたら、どんな栄光に満ちた人生を、主イエス様は用意して下さらないはずがあるのでしょうか。》