◇◆◇日々のみ言葉
2017年12月26日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書16章25節~26節】
16:25「アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
16:26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』」
◎ショートメッセージ
《引き続き、主イエス様が語られた「金持ちとラザロ」について学んで行きます。
さて、金持ちは死んで葬られました。しかしそれで終わりではなかったのです。
金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げますと、アブラハムが、はるかかなたに見えたのです。しかもそのふところには、かつて自分の家の門の前で物乞いをしていた、あの汚いラザロが見えたのでした。
彼はそこまで届くか届かないのか、分かりませんでしたが、あらん限りの声で叫んだのです。
「父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。」
この話はあくまで「たとえ」とする学者と、いや真実であったとする学者と意見が分かれていることは、前にも書きましたが、イエス様が想像で語られたとは思えないほどに、ハデスの情景が鮮明なのです。
特に「大きな深き淵」が存在することは、実際に見た者でなければ、言えないことなのです。
アブラハムは言います。
「子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。」
ここでも、大切な真理があります。
それは死んでも、生きていた時の記憶が残っていることなのです。そうでなければ、アブラハムの言葉は矛盾してしまいます。
また彼の目がはっきりと見えることも、耳が聞こえることも、そして話せることも、また喉が渇くことも、そして炎の熱さを感じることも、苦しむことも、痛みさえも、その金持ちは味わっているのです。
何度も言います。
地獄は実在するのです。そして天国も現実の場所なのです。
それだからこそ、イエス様が人となって、クリスマスに来て下さったのです。天地創造された神様が、人として、すべての罪と裁きを背負う為に、十字架にかかる為に、生まれて下さったのです。
明日も同じ箇所から、続きを学びます。》