◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月8日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書17章15節~16節】
17:15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
17:16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
◎ショートメッセージ
《イエス様の一行が、エルサレムにて行なわれるユダヤ最大の祭り「過越の祭」に、巡礼するために、都上りをしていた時です。
サマリヤとユダヤの境にある村にはいると、イエス様から遠く離れた所に、十人のらい病人がいたと言うのです。
彼らは遠く離れたその場所から、声を張り上げて言いました。
「イエス様。どうぞ哀れんで下さい。」
イエス様はその声を耳にし、そして彼らに言われたのです。
「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」
彼らは、祭司に見せに行く途中でいやされたのです。ここで非常に重要な真理があります。それは、彼らイエス様を信じて、そしてそのお言葉に従ったと言うことです。
癒やされた時、彼らはどうしたでしょうか。
私は、彼らは互いに、自分が癒やされたことに、飛び上がって喜び叫んだに違いないと思うのです。そして互いに手を取り合い、あるいは抱き合い、そして感謝を捧げたと思われます。
その時、その中のひとりが、急いで走って、イエス様の御もとに引き返して来たのです。大声で、神様を誉め讃えながら。
イエス様の足下にひれ伏し、感謝を捧げたのです。
何と彼はサマリヤ人であったことを、ルカは書き記しています。と言うことは、残りの九人は、ユダヤ人であったかも知れないのです。
しかし戻って来たのは、彼ただ一人でした。
残りの九人はどうしたのでしょうか。もちろん彼らは、イエス様のお言葉に従い、喜び勇んで、祭司に見せる為に、祭司の所まで走って行ったと思われます。
彼らは、イエス様に言われた通りにしているのであって、決してイエス様に逆らっているのではないのです。
しかし、このサマリヤ人は戻って来たのです。イエス様の御もとに。
彼は、らい病が癒やされました。実はそれだけではないのです。彼は救われたのです。
最初に、彼は「癒やし主」に出会いました。そして次に彼は、自分の「救い主」に出会ったのです。
ここに、人が奇蹟的に病が癒やされたとしても、その癒やしと、その人の魂の救いとは、別なことであることが分かります。
人が、たとえ奇蹟的に「ガン」や「不治の病」が癒やされたとしても、その人が救われるは否かは、その人の思いと行動にかかっているとも、言えないでしょうか。
人が救われる為には、主イエス様の御もとに行き、ひれ伏して礼拝しなければならないのです。このお方こそが「メシヤ」であることを、信じなければならないのです。
「癒やし」は「救い」につながりますが、「癒やし」と「救い」とは、元来別なものなのです。》