◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月10日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書17章11節~19節】
17:11 そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
17:12 ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、
17:13 声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。
17:14 イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。
17:15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
17:16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
17:17 そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。
17:18 神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
17:19 それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
◎ショートメッセージ
《今日は、「十人のらい病人のいやし」の記事から、まとめとして考えて見たいと思います。よって、聖書箇所を全節、掲載しました。もう一度味わって見て下さい。
私たちは、イエス様が三十歳ほどから、メシヤとして公生涯を送られたことを、聖書を通して知っていますが、それまでの三十年間、大工ヨセフの息子として、また兄として、どのような人生を送られたのか、ほとんど知ることが出来ません。
また、約三年半における公生涯において、どれほどの奇蹟や、癒やしと解放を行なわれたのか、それさえも正確には知ることが出来ないのです。
確かに、三つの共観福音書と、第四福音書と呼ばれるヨハネの福音書から、イエス様の行なわれた御わざの主立ったものは、知ることは出来ます。
しかし、自分自身のことを考えて見ますと、三年半と言う、長くはありませんが、決して短くはないこの年月に、どれほど多くの出来事があったのか、思い返せるかと思います。
まさにヨハネが、最後に書き記した通りなのです。
『イエスが行なわれたことは、他にもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。(ヨハネの福音書21:25)』
私たちの知らない、多くのことを、イエス様は行なわれたのです。
さて、「十人のらい病人のいやし」も、実は異邦人の救いにつながっているとも言えます。九人はユダヤ人でしたが、一人はサマリヤ人でした。普通ユダヤ人は、サマリヤ人とは付き合いをしません。
しかし「らい病」と言う大きなハンデを背負わされた為に、共同で助け合っていたことは事実です。
私は、主イエス様の御元に戻って来たサマリヤ人は、他の九人の仲間にも、主イエス様の所に戻ることを勧めたと思うのです。感謝と賛美を捧げる為に。
しかしその時には、九人のユダヤ人は、サマリヤ人と行動を共にしなかったことが分かります。らい病が取り去られ、元の体に戻った時、彼らの価値観も元に戻ってしまったのではないでしょうか。
それゆえイエス様が、
「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人の他には、だれもいないのか。」と言われたのです。
そしてそれから、そのサマリヤ人に言われました。
「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
『17:12ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。』と、ルカは書き記していますが、本当にメシヤに出会ったのは、主イエス・キリストに出会ったのは、ひとりのサマリヤ人だけだったのです。》