◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月13日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書17章22節】
17:22 イエスは弟子たちに言われた。「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、神の国について、パリサイ派の人たちに教えられましたが、それを終えられると、今度は弟子たちの方を向いて、「主の日」に起こることを預言されました。 今まで弟子たちに、教えて来たことを凝縮して話されたと、言っても良いかも知れません。
細かく区切って考えて行きたいと思います。
聖書の預言の多くは、二重の出来事を表わしていることが多いのです。イエス様の話されたこの短い預言も、二つの出来事を預言しています。
一つは「十字架」です。
弟子たちは、まさかキリストであり救い主であるイエス様が、ローマ兵に捕らえられ、十字架にかけられて死ぬとは、思っても見なかったのです。彼らには、この奥義が隠されていました。
主イエス様は、三度も受難予告をされました。しかも三回目においては、ご自身が十字架にかけられることまでも預言したのです。
十字架刑とは、ローマ帝国が考え出した最も残酷な刑で、おもに政治的反逆者に対して見せしめの為に行なわれました。
しかしイエス様は、三日目にはよみがえることを、何度も弟子たちに言い聞かせました。十字架からよみがえるまでの三日間こそが、真っ暗闇であり、主イエス様の話した預言の成就なのです。
そしてもう一つは、「昇天」です。
使徒の働きによると、
『イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
彼らと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、一緒に集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」
こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。
「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒の働き 1:3~ 11:11)』と書かれています。
この時、弟子たちは、イエス様が言われた言葉を思い出したに違いないのです。
「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。」と言う言葉を。》