◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月12日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書17章20節~21節】
17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。大切な真理ですので、昨日と今日の二日間にかけて、イエス様が教えられた奥義を、考えて行きたいと思います。
パリサイ派の人たちがイエス様に質問して来ました。
「神の国はいつ来るのか。」
この質問の根底には、二つの意味が込められています。一つは、「神の国」はまだ来ていない、と言う前提です。もう一つは、彼らの中にある「神の国」と言う思い描いている映像があると言うことです。
彼らは、天から火を降り注いで、敵を滅ぼすエリヤのような政治的メシヤを待ち望んでいたからです。
この当時、イスラエルはローマ帝国の属国でしたから、まだ彼らの言う「神の国」は、すなわちイスラエルは、解放されていなかったからです。
要するに、彼らは「天変地異」のような、目に見えるしるしを求めていたのです。
それに対してイエス様は、
「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。」
とお答えになられました。
パリサイ派の人たちは、聖書に通じていましたし、メシヤ預言も良く知っていました。
イザヤによれば、
『エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。
正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
11:9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。
その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。(イザヤ書 11:1~ 11:10)』と書かれています。
目に見える形においても、この地上に「神の国」は、やがて到来します。しかしイザヤが見た幻は、イエス様による「千年王国」であって、まだ未来のことなのです。
「いいですか。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」
このお言葉に、イエス様が政治的メシヤではなく霊的メシヤ、永遠の救い主であることを暗示しているのです。
神の国とは、主イエス様を信じることです。イエス様にひれ伏すことなのです。魂が救われなければ、永遠の命が与えられなければ、その人は滅んで行くことになるのです。イエス様が共におられる場所こそが、「神の国」なのです。》