◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月21日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書17章37節】
17:37 弟子たちは答えて言った。「主よ。どこでですか。」主は言われた。「死体のある所、そこに、はげたかも集まります。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は弟子たちに言われました。
「あなたがたに言いますが、その夜、同じ寝台で男がふたり寝ていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。
女がふたり一緒に臼をひいていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。ふたりの男が畑にいると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。」
これを聞いて、弟子たちが質問したのです。
「主よ。どこでですか。」
実は、これはかなり的の外れた質問なのです。弟子たちは、このような意味で質問したのです。
「主よ。具体的にそれはどこで起こるのでしょうか。イスラエルですか。それとも異邦人の町ですか。ローマですか。」
その質問に対してイエス様は、変わった答えをなさいました。おそらくこれは、当時のイスラエルの諺(ことわざ)ではないかと思われるのです。つまり特定の場所ではないと言うことなのです。どこででも起きることだと言う意味です。
またある注解書では、裁きの象徴だとも言われています。ひとりは取られ、ひとりは残されるからです。残された者に取っては、残されたことが裁きだからです。
イエス様は、信者と未信者と言う意味で話されていますが、これがもし信者同士であったらどうなるのでしょうか。
つまりそれは、本当に救われているのか、救われていないのかの問題になって来るのです。
「救い」に関しては、私たち側の問題ではなく、それは神様の主権の中にあることですが、使徒パウロはこのように言っています。
『このキリストにあって、私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。
それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。
またあなたがたも、キリストにあって、真理の言葉、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。(エペソ人への手紙1:10 ~1:14)』と。
ここでパウロは、聖霊様こそが、私たちに与えられた証印であると、断言しています。
しかし、もし聖霊様を否定するような教団や教派があったとしたらどうでしょうか。それは、約束の証印を拒否していることにつながらないでしょうか。
パウロは、さらにこう続けています。
『神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。(エペソ人への手紙4:30)』
私が、一番最初に集いました教会は、残念ながら聖霊様を拒否し、悲しませていた教団でした。幸い、主イエス様が、そこから私を引き抜いて下さいました。
しかし未だに、その教団に対しての篤い思いは消すことは出来ません。そこに属されている教会員の方々が、聖霊様によって霊的な目が開かれることを祈り続けています。》