◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月22日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書18章1節】
18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
◎ショートメッセージ
《今日からルカの福音書の学びも、18章に入ります。
さて、イエス様は弟子たちに教えられました。特にここでは、「ひとりのやもめと裁判官」と言うたとえを用いて話されています。
今日はその導入の段階として、ルカが書いたこの節の言葉を考えて見たいと思います。
一つは、イエス様は弟子たちに「いつでも祈るべきこと」を教えておられます。かつて弟子たちはイエス様に尋ねました。
「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えて下さい。」
そこでイエス様は、彼らに祈りを教えられたのです。
「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を毎日お与え下さい。私たちの罪をお赦し下さい。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないで下さい。」
これこそが、誰もが知る「主の祈り」です。主の祈りを毎日唱え、神様に捧げることは、本当に力となります。
しかしこの時は少し様子が違うようなのです。つまり弟子たちから教えを願い出たわけでもなく、主イエス様の方から「いつも祈るべきである」と教えられたのですから。
使徒パウロもこのように勧めています。
『すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ人への手紙6:18)』
『目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。(コロサイ人への手紙4:2)』
『絶えず祈りなさい。(第一テサロニケ5:17)』
私たちは、祈るように造られており、また祈り続けることを要求されているのです。
そして二つ目は、「失望してはならないことを教えるため」と、ルカはその理由を明確にしています。
これは、やがて弟子たちに「失望」の時がやって来ることを預言しています。しかしこの時には、イエス様の評判は絶頂期に達していたのです。かれらの前途は揚々としていたのです。
今をときめく「時の人」イエス様に、その公生涯の最初から付き従っている十二使徒たち。何と言う先見の目を持った弟子たち。
その中で誰が一番偉いのか、またイエス様の右もしくは左の座に誰が座ることが相応しいのか、論じ合っていた弟子たちに、やがて「失望」の時、いや「絶望」の時がやって来ることを、イエス様は暗示しておられるのです。
そうです。それは「十字架」なのです。》