◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月24日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書18章2節~5節】
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
18:3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
18:4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じく「ひとりのやもめと裁判官」のたとえの学びの続きです。
昨日は「裁判官」のことについて考えて見ました。今日は、その対象として描かれた、「ひとりのやもめ」について考えて見たいと思います。
イエス様は、いつでも祈るべきであり、決して失望してはならないことを教える為に弟子たちに「たとえ」を持って話されました。この時、イエス様の周りには十二使徒たちと、他の弟子たちがいたことは間違いのないことですが、もしかしたらさらにその周りには、パリサイ人や律法学者たちが聞いていたとも考えられるのです。
やもめは、その夫の財産を相続していました。
イエス様は、別な場所において、このようにパリサイ人たちに言われたのです。
『「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。」(マタイの福音書23:14)』
つまり、イエス様のたとえ話に出て来るやもめの相手とは、パリサイ人であり律法学者と言う隠れキャラクターが存在するのです。
まさに彼らは、神の御子であられるイエス様を恐れようともせず、また自分たちだけが正しい者だとし、人を人とも思わない存在であったからです。
そのやもめが、その裁判官の所に、何回も何回もやって来ては頼むわけです。
『私の相手をさばいて、私を守ってください。』
最初のうちは、しばらく取り合わないでいたようですが、しつこく何回も何回も懇願しに来ると言うのです。
するとついにその裁判官は音を上げます。
「私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女の為に裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。」と。
神も恐れず、人をも恐れない裁判官が、ひとりのやもめを恐れたのです。これが、イエス様の話された「ひとりのやもめと裁判官」なのです。
イエス様が捕らえられた時、大祭司の庭において、十二使徒のリーダーであったシモン・ペテロが恐れたのは誰ですか。
ローマ兵ですか。百人隊長ですか。それとも大祭司ですか。民の長老たちですか。いいえ。ペテロは、一人の女中を恐れたのです。
そしてペテロは、主イエス様を三度知らないと、否むことになるのです。》