• 日々のみ言葉 2018年2月17日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年2月17日(土)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書19章3節~4節】
    19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
    19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日から19章に入りました。
     盲人バルテマイの目を開けた主イエス様は、エリコの城門から町の中に入られました。
     エリコは、気候的には、最も過ごし易く、また水が豊富で、豊かな町であったのです。ここは、様々な街道が交差する場所でもあり、そこにもローマ帝国が設けた取税所がありました。
     この取税所の頭が、ザアカイという人物で、その名前は「正しい」あるいは「聖い」と言う意味だったのです。

     おそらく彼の両親が、彼が生まれた時に、「いつも正しい人であってほしい。罪に手を染めず聖い人であってほしい」と言う願いから、ザアカイと言う名前をつけたのではないかと思われます。祭司「ザカリヤ」と、ほぼ同じ名前でもありました。

     当時のユダヤ社会において、遊女と取税人は、最も罪深き罪人とされ、特に取税人は、売国奴として忌み嫌われておりました。

     なぜザアカイが、取税人になったのかは分かりかねますが、幼い時に、両親に何かが起こって、貧乏のどん底に落とされたのか、もしくは彼自身が騙されて、財産すべてを奪われてしまったのか、そのような傷を受けた可能性は十分に考えられます。

     とにかく、「金こそがすべてだ。」と考え、両親あるいは自分に対してそのようなことをした人々に復讐する為に、金の亡者に成り下がったと言うわけです。
     エリコの取税所をまとめ、取税人のトップですから、相当な金と富を擁していたは間違いないでしょう。

     それだけの富を得たとしても、そのほとんどは、決められた以上に、人々から上乗せして巻き上げた金ですので、彼の中にも幾ばくかの良心が残っていたのかも知れません。
     あるいは、両親が彼につけてくれた「ザアカイ」と言う名前と願いが、彼に働いたのかも知れません。
     ついに彼は、金ではどうにも解決出来ない問題にぶつかったのです。

     皆さん。この世の成功とは何でしょうか。人々からうやまられるほどの地位や名声、そして一生かかっても使い切れないほどの財産を手にすることでしょうか。
     確かにそれは素晴らしいことだと思います。

     しかし「金」がすべてでしょうか。「地位」や「名声」がすべてでしょうか。実はもっと大切な問題があるのです。それは「魂」の問題なのです。

     なぜなら創造主なる神様が、そのように人間を造られたからです。「魂」が飢え乾くのです。「魂」が叫ぶのです。それは決して物や金や、その他の何ものでも満たすことは出来ないのです。

     それは、神様だけが満たすことの出来る領域なのです。それこそが、ザアカイがいちじく桑の木に登った理由です。明日も同じ箇所からの学びの続きをします。》

Comments are closed.