• 日々のみ言葉 2018年2月18日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年2月18日(日)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書19章3節~4節】
    19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
    19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からの学びとなります。

     エリコの町の取税人の頭ザアカイは、イエス様がどんな方なのか見ようとしました。と言うことは、彼はすでにイエス様のうわさを聞いて知っていたと言うことです。

     エリコの城門から、人々が神様を誉め讃えながら入って来ました。エリコの町にいた人々は、「いったい何が起こったのだろう。」あるいは「誰がやって来たのだろう。」と思って、家々から出て来たに違いありません。

     そしてその群衆のうなりは、取税所に詰めていたザアカイの耳にも届いたのです。当然ザアカイは、町行く人々に、その理由を聞いたに違いないのです。

     人々は、
    「ナザレのイエス様が来られたのだ。」とザアカイに教えたと言うわけです。
     ザアカイは、イエス様がユダヤ人の一般的なラビとは、まったく違っていることを聞いていたのです。

     良いですか。

     今この時は、イエス様が十字架に掛けられて死なれる、10日から2週間ほど前の出来事なのです。
     つまり、3年半に渡る公生涯の最後のクライマックスの時なのです。その一番最後に救われる取税人がザアカイなのです。

     マルコの福音書には、取税人レビの召命の場面が描かれています。

    『イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「私について来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。
     それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちと一緒に食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。
     パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと一緒に食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか。」
    イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコの福音書2:14~2:17)』と。

     レビとはマタイのことです。マタイはカペナウムの取税人の頭でした。同じ取税人の頭同士、どうして顔を知らないようなことがあるでしょうか。
     レビとその弟ヤコブが、すべてを捨ててイエス様の弟子になったことは、ザアカイの耳に届いていないはずがありません。なぜなら、それは、ザアカイがいちじく桑の木に登る3年数ヶ月以上も前の出来事なのです。

     しかしザアカイは、直接イエス様には会ったことはなかったようです。なぜなら彼は、
    イエス様がどんな方なのか見ようとしたからです。明日も同じ箇所から考えて見ましょう。》

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