• 2018年3月4日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年3月4日第一聖日礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書13章36節~38節】 (新約p.191上段右側)
    13:36 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「私が行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
    13:37 ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
    13:38 イエスは答えられた。「私のためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度私を知らないと言います。」

    ◎メッセージの概要 【後にはついて来ます】
    《「主よ。どこにおいでになるのですか。」
     なぜペテロがこのように質問したかと言いますと、その前にイエス様が、
    「子どもたちよ。私はいましばらくの間、あなたがたと一緒にいます。あなたがたは私を捜すでしょう。そして、『私が行く所へは、あなたがたは来ることができない。』と私がユダヤ人たちに言ったように、今はあなたがたにも言うのです。」と言われたからです。
     ここでイエス様が言われた、『私が行く所へは、あなたがたは来ることができない。』と言う言葉の意味は、パリサイ人や律法学者たちに対して、また主を信じる者に対しては、全く異なる意味を持っています。
     そしてこの時ペテロに言われた言葉も、また違う意味を持っています。ここではイエス様は、ペテロ個人に対して預言されています。そこにいるイスカリオテのユダ以外の使徒たちに対してではありません。それだからこそ、「後にはついて来ます」と言われたのです。
     さて、イエス様はこの後、このように言われます。
    「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。私が行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。私のいる所に、あなたがたをもおらせるためです。私の行く道はあなたがたも知っています。」
     この言葉は、弟子たちだけではなくすべて主を信じる人々の慰めの言葉です。
     イエス様がよみがえられた後、ガリラヤ湖畔において、弟子たちにご自身を現わされた時、シモン・ペテロにこのように言われました。
    「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
     この言葉に対して、使徒ヨハネはこのように注釈をつけています。
    『これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。』
     これこそが、主イエス様が、聖餐式の後にペテロに言われたことの成就になるのです。そしてペテロに言われたことは、「私に従いなさい。」でした。
     ついていくこととは、十字架の他にはありません。イエス様に従い、ペテロは、ローマにおいて逆さ磔にかかり。天の御国に凱旋することとなります。
     さて、ペテロは言いました。
    「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
     この言葉は傲慢でも、また嘘でもありません。心底ペテロはそのように思っていたのです。
     三年半年ほど前、シモンとその弟アンデレが、漁を終え湖で網を打っていた時に、主イエス様が彼らを召し出されました。
    「私について来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
     そして兄と弟は、すぐに網を捨てて従いました。ある時ペテロは、イエス様にこのように告白したのです。
    「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
     これは嘘偽りではなく、本当にペテロとアンデレは、何もかも捨ててイエス様に従ったのです。イエス様はこのように答えられます。
    「まことに、あなたがたに告げます。私の為に、また福音の為に、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠の命を受けます。」
     ペテロの家の働き手とは誰ですか。ペテロと弟アンデレではないですか。彼らは漁師だったのです。漁をして家族を養っていたのです。しかし彼らが仕事を捨てて、また家庭も顧り見ないで、どうやって彼らの家族は養われたのですか。しかも三年半年も。ペテロは結婚していましたし、また姑も養っていたのです。
     イエス様のガリラヤ宣教の本拠地はどこですか。ペテロの家です。そこにイエス様は宿泊され、また宣教に出かけられては、戻って来ました。カペナウムの多くの人々が、癒やされ解放されました。カペナウム中の人々が、その感謝の気持ちを込めて、どうしてペテロの家に残された家族の面倒を見ないようなことがあるでしょうか。
     そしてカペナウムの会堂管理人ヤイロ。その十二才になるひとり娘のよみがえり。当時のユダヤの会堂管理人とは、ユダヤ最高議会サンヘドリン議員に次ぐ、大きな役人のポストだったのです。そうだとしたら大金持ちです。どうしてそのヤイロが、ペテロやゼベタイの家の面倒を見ないようなことが起こると言うのでしょう。
     最後に使徒パウロは、コリント人への手紙にこのように書き記しています。『私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。』ここで言う「私たち」とは、パウロとバルナバのことです。ここではっきりと、主の四人の弟たち、また他の使徒たちが結婚して家庭を持っていると言う事実が書かれています。まさに最初は使徒たちだけでしたが、この頃になると家族が救われていたことが分かるのです。
     さてイエス様はペテロにこう言われました。これもペテロだけの預言です。
    「私のためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度私を知らないと言います。」
     この預言も数時間後に成就します。このことについては、次週以降学びたいと思います。》

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