◇◆◇日々のみ言葉
2018年3月10日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書19章45節~46節】
19:45 宮にはいられたイエスは、商売人たちを追い出し始め、
19:46こう言われた。「『私の家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」
◎ショートメッセージ
《今日の聖書箇所のルカの福音書のみ言葉と、マルコの福音書の平行記事とは、実は時制に、若干の違いがあります。
マルコの福音書では、
『こうして、イエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子と一緒にベタニヤに出て行かれた。
翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。
イエスは、その木に向かって言われた。
「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」
弟子たちはこれを聞いていた。
それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮にはいり、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。
そして、彼らに教えて言われた。
「『私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」
(マルコの福音書11:11~11:17)』となっているのです。
つまり、ルカの福音書においては、ろばの子に乗ってエルサレムに入場したその日に、神殿において「宮きよめ」をされるのですが、マルコの福音書では、入場されたその日は、ベタニヤのマルタとマリアと弟ラザロの家に戻って、次の日にイエス様は「宮きよめ」をされることになっているのです。
この辺りは、一体どちらが正しいのかは分かりかねますが、ルカの福音書が最も時制に信頼を置け、起こった出来事を年代順に並べていることを、多くの聖書学者は支持しています。
さて商売人とは何でしょうか。それはいけにえを売る者たちと、両替人のことです。エルサレムに巡礼するユダヤ人たちは、本来は自分たちで、傷のない一才の雄羊を用意すべきなのですが、遠い所に住んでいるユダヤ人は、とても自分たちでいけにえを連れて来ることは出来ません。
しかも生けにえの鑑定は祭司がすることになっていましたので、祭司と商売人は結託していて、たとえ自分で連れて来たとしても、そのいけにえは「傷物」だといいがかりをつけ、結局は、すでに合格基準に達していると言い、商売人のいけにえを高い値段で買わせるのでした。
また、出エジプト記によりますと、
『登録される者はみな、聖所のシェケルで半シェケルを払わなければならない。一シェケルは二十ゲラであって、おのおの半シェケルを主への奉納物とする。二十歳、またそれ以上の者で登録される者はみな、主にこの奉納物を納めなければならない。(出エジプト記30:13~30:14)』となっており、
聖所のシェケルでなければ奉納物として認められなかったのです。よって聖所のシェケルに両替しなければなりませんでした。その手数料として、法外な値段を吹っかけ、両替商は大儲けしていたのです。
聖所のシェケルと言っても、同じユダヤ硬貨であって、それを祭司たちが識別し、認定していたと言う肩書きがついているだけなのです。
まさしくイエス様が言われた通り、泥棒であり強盗の巣であったのです。》