• 日々のみ言葉 2018年3月17日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年3月17日(土)

    ◎聖書箇所【ルカの福音書20章13節】
    20:13「ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日は、「日々のみ言葉」の1,000回目を迎えました。よって今日は、1,001回目となります。2,000回目を目指して、さらに聖霊様と共に前進したいと願っております。
     
     さて引き続き、「邪悪な農夫のたとえ」について学んで行きたいと思います。

    「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。
     そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。
     そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。
     彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。」

     この次に言われたことが、本日の聖書箇所となります。
    「ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』」

     マルコの福音書の平行記事では、
    『その人には、なおもうひとりの者がいた。それは愛する息子であった。彼は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、最後にその息子を遣わした。(マルコの福音書12:6)』と、なっています。

     マルコの福音書では、「最後にその息子を遣わした。」となっています。つまり「ぶどう園」に、イスラエルに、主人の愛する息子を遣わしたことが、最後となると言われているのです。

     この方以外に救いはありません。この方以外に、全人類の救い主は、メシヤなるお方はおられないのです。

     父なる神様は、イスラエルに何度も何度も、そして何人もの預言者を遣わされましたが、その度ごとに、当時の指導者たちはその預言者を排除し、神様の言葉に逆らって来ました。
     旧約聖書は、選民であるユダヤ人の、イスラエルの背教の歴史でもあるのです。

     今でも同じです。多くのユダヤ人が、メシヤが来ることを、願い祈り待ち続けています。二千年前に来て下さったにもかかわらず。やがて彼らは、「反キリスト」をメシヤとして受け入れることになります。

     しかし父なる神様の御心は変わることがありません。神様に取っては、今でも彼らは選民であり、ご自分の民であり、また人類の歴史の時を刻む指針なのです。

     よって父なる神様は、多くのユダヤ人に直接、御子イエス様を見える形で遣わされています。
    「白い衣を着たイエシュア」に出会ったユダヤ人は、ユダヤ人でありながら、イエス様を信じ、「メシヤニック・ジュー」として、信仰生活を行なっています。
     日毎に、その数が増やされています。何と素晴らしいことではないでしょうか。

     父なる神様は、そのひとり子であり、愛する息子であるイエス様を、イスラエルに、そして聖都エルサレムに遣わされました。しかし「邪悪な農夫」たちは、そのお方を十字架につけて殺してしまうことになるのです。》

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