◇◆◇日々のみ言葉
2018年3月21日(水)
◎聖書箇所【ルカの福音書20章19節~20節】
20:19 律法学者、祭司長たちは、イエスが自分たちをさしてこのたとえを話されたと気づいたので、この際イエスに手をかけて捕えようとしたが、やはり民衆を恐れた。
20:20 さて、機会をねらっていた彼らは、義人を装った間者を送り、イエスの言葉を取り上げて、総督の支配と権威にイエスを引き渡そう、と計った。
◎ショートメッセージ
《イエス様は、律法学者、祭司長たちを見つめて言われました。
「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」
マルコの福音書の平行記事では、
『彼らは、このたとえ話が、自分たちをさして語られたことに気づいたので、イエスを捕えようとしたが、やはり群衆を恐れた。それで、イエスを残して、立ち去った。(マルコの福音書12:12)』と書かれています。
人は、真実を突きつけられると、二つの反応のどちらかをするものです。
一つは、その真実を認め、受け入れ、そして悔い改めることです。まさに神様が喜ばれる姿と言っても良いでしょう。
真実とは、その人の真の人柄、もしくは行ないを表します。そのほとんどの場合が、本人にとっては好ましくないものが多いのです。
そしてもう一つの反応が、それに対して怒り、その真実を否定し、その真実を暴露した相手に対して敵意を抱き、逆襲することです。
パリサイ人や律法学者たち、そして祭司長たちの取った行動は、まさしく後者に属するものでした。
イエス様は、神様であられます。よってすべての人は、イエス様の前で、何一つ隠し通すことは出来ません。イエス様には、すべてが見通され、すべて知っておられます。
イエス様は、パリサイ人や律法学者たち、そして祭司長たちに対して、そのすべての罪を暴露し、脅迫し、悔い改めを迫ったのではありません。
ご自身こそが、彼らが物心着く前から、学んでいる聖書(旧約聖書)に書かれたメシヤであることを、何度も、しかもあらゆる方法を用いて、悟ることが出来る様に、目が開かれるように、そして悔い改めるように促して来られたのです。
そこには、彼らへの愛が溢れているのです。
しかしそんなことも露知らず、彼らは、義人を装った間者を送り、イエス様の言葉を取り上げて、総督の支配と権威にイエス様を引き渡そう、と計ったのでした。
イエス様が「完了した」と、その霊を父なる神様にお渡しになった時、その時、まだ生きているパリサイ人や律法学者たち、そして祭司長たちを含むユダヤの指導者たちの罪の身代わりとしても、死なれたのです。
そうなのです。イエス様の十字架の周りで、イエス様の死を喜んで見届けていた彼らの為にも、贖いの死を遂げられたのです。これはまさに真実です。》