◇◆◇日々のみ言葉
2018年3月29日(木)
◎聖書箇所【ルカの福音書20章36節】
20:36「彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、サドカイ派の人たちに答えられました。
「彼らはもう死ぬことができないからです。」
これこそが、私たちに取って、最大の恵みではないでしょうか。主イエス様を信じ従った者には、本当に「永遠の命」が与えられるのです。
使徒パウロはこう言っています。
『死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、み言葉が実現します。(第Ⅰコリント人への手紙15:42~15:54)』と。
次に「彼らは御使いのようであり」とは、どのようなことかと言いますと、御使いの数は、神様が創造された時から同じなのです。彼らは増えもしませんし、減りもしません。なぜなら彼らは霊的存在であり永遠の存在なのです。
よって、反逆し堕落し悪霊となった、かつての御使いは、裁きとして地獄の苦しみの中に永遠に落とされることになります。本来地獄とは、悪魔と悪霊どもの為に用意された場所なのです。
イエス様は言われました。
「彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。」
復活の栄光の体が与えられたクリスチャンは、まさに「御使いのように」なるのであり、御使いになるのではありません。よって、よく映画に有りますように、死んだら誰もが天使になるのではないのです。
つまり永遠の存在として、永遠にイエス様と共にいることになります。まさしく神様の子供とされるのです。ハレルヤ!》