◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月12日(土)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章25節~27節】
22:25 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。
22:26 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。
22:27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかし私は、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。」
◎ショートメッセージ
《使徒ヨハネは、三つの共観福音書が書かれてから、数十年後に、第四福音書をエペソにて執筆しました。
それによりますと、
『さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
夕食の間のことであった。イエスは、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
イエスは答えて言われた。
「私がしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
ペテロはイエスに言った。
「決して私の足をお洗いにならないでください。」
イエスは答えられた。
「もし私が洗わなければ、あなたは私と何の関係もありません。」
シモン・ペテロは言った。
「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
イエスは彼に言われた。
「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。」と言われたのである。
イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「私があなたがたに何をしたか、わかりますか。あなたがたは私を先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。私はそのような者だからです。それで、主であり師であるこの私が、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、私はあなたがたに模範を示したのです。(ヨハネの福音書13:1~13:15)』と、書かれています。
最後の晩餐において、イエス様は弟子たちの足を洗われました。なぜ三つの共観福音書には、このことが書かれてはいないのでしょうか。
ルカは、イエス様が弟子たちの洗足をされた後に、言われたことだけを、ここに書き記したと思われるのです。
おそらくマタイとペテロ(マルコはペテロの説教をもとに福音書を執筆)は、イエス様がイスカリオテのユダの足を洗われたことを、どうしても認めたくなく、また納得出来なかったのではないでしょうか。これも私個人の推測にしか過ぎませんが。》