◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月19日(土)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章36節~38節】
22:36 そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。
22:37 あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、私に必ず実現するのです。私にかかわることは実現します。」
22:38 彼らは言った。「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります。」イエスは彼らに、「それで十分。」と言われた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
「あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、私に必ず実現するのです。私にかかわることは実現します。」
ここでイエス様が引用されたのは、イザヤ書です。
『私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼が私の民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもと共に設けられ、彼は富む者と共に葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみ心であった。もし彼が、自分の命を罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみ心は彼によって成し遂げられる。
彼は、自分の命の激しい苦しみのあとを見て、満足する。私の正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、私は、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分の命を死に明け渡し、そむいた人たちと共に数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。(イザヤ書53:1~53:12)』
イエス様は、十二使徒たちに、この「悲しみのメシヤ預言」について、何度も解き明かされ、教えられたに違いないと、私は思うのです。しかもイザヤが預言した、この人物こそが、ご自分であることを。
しかし残念なことに、弟子たちの目は、霊的には曇っていたのです。》