• 日々のみ言葉 2018年5月25日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年5月25日(金)

    ◎聖書箇所【ルカの福音書22章45節~46節】
    22:45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。
    22:46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」

    ◎ショートメッセージ
    《「父よ。みこころならば、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
     ルカは、このように一度祈られたように凝縮して書いていますが、マタイとマルコの福音書によれば、イエス様は三回同じように祈られ、その度ごとに、弟子たちの所に戻って来たとなっています。

     マルコの福音書によりますと、
    『ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。
    「私が祈る間、ここにすわっていなさい。」
     そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。
     そして彼らに言われた。
    「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
     それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、またこう言われた。
    「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
     それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。
     誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
     イエスは再び離れて行き、前と同じ言葉で祈られた。
    そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。
    イエスは三度目に来て、彼らに言われた。
    「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。」(マルコの福音書14:32~14:41前半)』と、書かれています。

     イエス様は、重要な時にはいつも、シモン・ペテロとゼベダイの子ヤコブとヨハネの三人を連れて行くのです。これは特別な配慮によるものです。
     マルコは、シモン・ペテロの説教を基にして最初の福音書を執筆します。よってイエス様は、ペテロに多くの教えを直に導いて行かれたのです。また使徒たちのリーダーとしての教育をも施したのです。

     そして主イエス様が愛された弟子であるヨハネは、いつもイエス様の側にいて、主の語られた言葉、なされた奇蹟やしるしを目の当たりに見ていたわけです。だからこそ第四福音書が生まれることになるのです。

     聖書には書かれてはいませんが、御使いガブリエルがやって来て、イエス様を力づける場面を目撃したのは、ヨハネだけであったと私は思います。

     また、なぜシモン・ペテロの弟アンデレを、イエス様が重要な場面に連れてこないのか不思議に思うのは私だけでしょうか。
     なぜなら、アンデレは、ゼベタイの子ヨハネと同じく、かつてはバプテスマのヨハネの弟子であり、主イエス様が、ヨハネにバプテスマを授けられてからの最初の弟子となったのです。

     これも聖書には書かれてはいませんが、私は、残された八人の使徒や他の弟子たちを指導し、面倒を見るために、サブリーダーとして、アンデレを残されたのではないでしょうか。》

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