• 2018年5月27日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年5月27日第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書14章18節】 (新約p.192上段左側)
    14:18 「私は、あなたがたを捨てて孤児にはしません。私は、あなたがたのところに戻って来るのです。」

    ◎メッセージの概要【あなたがたの所に戻って来る】
    《イエス様は、十一人の使徒たちに、はっきりと約束されました。
    「私は、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」と。
     孤児とは、両親もなく、身よりもなく、また兄弟姉妹もなく、ひとりぼっちの子供を指します。この言葉から、一時ですが、彼らがその立場に置かれることになることが預言されています。また彼らが、孤児になったような気持ちや、そのような状況に陥ることを意味しているのです。
     事実、イエス様が十字架にかけられ死なれた時、すべてを捨てて主イエス様に従って来た十一人の弟子たちを始め、他の弟子たちや女性たちは、まさにそのような暗闇を絶望を味わうことになります。
     しかし生前にイエス様は、何度も彼らに「よみがえる」ことを預言されました。しかもその雛形として、ベタニヤのラザロをよみがえらせたのです。
     ヨハネは言います。
    「イエス様を受け入れた人々、すなわちイエス様の名を信じた人々は、神の子供とされる特権を与えられたこと」を。
     また使徒パウロは言います。
    「あなたがたは皆、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもある」と。
     主イエス様に対する信仰によって、私たちは、この世界を創造された神様を「お父様」と呼ぶことが出来るのです。たとえ何があったとしても、私たちは、もはや決して孤児ではありません。
     イザヤを通して、神様はこのように言われます。
    「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子を憐れまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、この私はあなたを忘れない。見よ。私は手の平にあなたを刻んだ。」
     あなたも私も、主イエス様を信じる者は皆、神様の手の平に名前が、フルネームが刻まれているのです。それゆえに、私たちは決して捨てられることはありません。あなたや私から、神様を捨てない限り。
     そしてイエス様は、「私は、あなたがたのところに戻って来るのです。」と預言されました。
     これは、一時イエス様が、弟子たちの前からいなくなることを、見えなくなることを意味しています。それは、姿を消したり、あるいは何処かに旅行に行くのではなく、十字架の死を意味します。
     死んだ者は、常習的から言って、戻って来ることはあり得えません。しかしイエス様は、預言された通り、復活されるのです。
    「私は、あなたがたのところに戻って来るのです。」
     この預言には、実は三つの意味、いや三つのケースが含まれています。
     一つは、まさに埋葬されてから三日目に、イエス様は弟子たちの前に姿を現わされたことです。
     マルコの福音書に、『しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。』と書き記された通りです。
     最もこの場面も二回あって、最初の時には、トマスはいませんでした。しかしその一週間後には、トマスもいたのです。イエス様は、生きておられるお姿を彼らに見せられたのです。
     そして二つ目は、イエス様は、よみがえられてから四十日の間、弟子たちや多くの人々にご自身を現わされました。
     しかし四十日目のことです。十一使徒を引き連れてオリーブ山に行かれ、そこで彼らの見ている間に、天に上って行かれたのです。
     この時、再び十一使徒たちは、孤児になってしまうのでしょうか。イエス様は、また彼らを残して、行ってしまわれたのです。
     そこへ御使いが現われ、このように告げます。
    「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
     そしてその十日後、五旬節に聖霊が降られました。聖霊なるお方は、この時、弟子たちの中に内住されたのです。イエス様は、もうひとりの助け主として、聖霊様として戻って来られたのです。まさに神は共におられるのです。
     この後ペテロは、集まって来たユダヤ人を前にして、力強い説教を語り、その日三千人が救われました。そればかりではありません。その後、サンヘドリンにおいて、驚異的な弁明をすることになります。聖霊様が内住された時に、まさしく彼らは、もはや孤児ではなく、真に神の子どもとされたのです。
     そして三つ目は、御使いが語ったように、主の再臨の時です。
     パウロは言います。
    「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスと一緒に連れて来られるはずです。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。私たちは主のみ言葉のとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主と共にいることになります。」と。
     これは、主イエス様が、花婿として花嫁である教会を迎えに来る「空中再臨」の時を表しています。すなわち「携挙」です。
     イエス様は、「あなたがたの所に戻って来る。」と言われました。この場合の「あなたがた」とは、主を信じ、主の訪れを待ち望んでいる聖徒を指すことは明白です。
     そして近い将来、人類が滅びる寸前に、神様が、人類の歴史にご介入されます。その時こそが、本当の再臨となります。
     しかしその時には、主を信じる者である「神の子どもたち」は、イエス様の後ろに大群衆として、イエス様と共に、地球に戻って来ることになるのです。私もあなたもその中に必ずいます。そして一人でも多くの日本の人々を、その大群衆の中に招くことが出来たらと考えています。
     その為に、私たち一人一人は、警告灯として、また「永遠のいのち」に至る道への道しるべとして、主イエス様が、それぞれの場所に遣わし、置かれたのです。そこで輝く為にです。あなたや私が行く所に、神様の栄光が共に行って下さるのです。》

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