◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月27日(日)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章47節~48節】
22:47 イエスがまだ話をしておられるとき、群衆がやって来た。十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして、みもとに近づいた。
22:48 だが、イエスは彼に、「ユダ。口づけで、人の子を裏切ろうとするのか。」と言われた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
実は、三つの共観福音書には書かれていない、とても重要なことをヨハネは書き記しています。しかも、この場面において、一番最初に起こったことなのです。
イスカリオテのユダが、イエス様に近づいて口づけする前に、起こった出来事です。
ヨハネによりますと、
『イエスはこれらのことを話し終えられると、弟子たちとともに、ケデロンの川筋の向こう側に出て行かれた。そこに園があって、イエスは弟子たちと一緒に、そこにはいられた。
ところで、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスがたびたび弟子たちとそこで会合されたからである。
そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。
イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか。」と彼らに言われた。彼らは、
「ナザレ人イエスを。」と答えた。イエスは彼らに
「それは私です。」と言われた。
イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。
イエスが彼らに、「それは私です。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
そこで、イエスがもう一度、
「だれを捜すのか。」と問われると、彼らは
「ナザレ人イエスを。」と言った。
イエスは答えられた。
「それはわ私だと、あなたがたに言ったでしょう。もし私を捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」
それは、
「あなたが私に下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。」とイエスが言われた言葉が実現するためであった。(ヨハネの福音書18:1~18:9)』と、書かれています。
ユダを先頭にした群衆に向かってイエス様は、前に出て来て、彼らに質問しました。
「だれを捜すのか。」
「ナザレ人イエスを。」
マタイの福音書には、
『そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。(マタイの福音書2:23)』と書かれており、この預言がここでも、明確に成就したのです。
「それは私です。」
ギリシャ語では「エゴー、エイミ」、つまりモーゼが、神様ご自身の名前を尋ねた時に、神様が答えられた言葉なのです。
すると、彼らはあとずさりし、そして地に倒れたのです。イスカリオテのユダを始め、イエス様を捕縛に来た者たちは、その言葉に地面に倒されたのです。
ここにもイエス様のイスカリオテのユダへの愛が示されています。この時、ローマ兵は一隊の部隊で、何と六百人の兵士がいたのです。また大勢のユダヤの人々もいたのです。その彼らが、皆、地面に打ち倒されたのです。
これは、まさしく、ご自身こそが、彼らの神であり、ヤーヴェなるお方であり、創造主であることを示されたのです。そしてユダに悔い改めを迫っておられるのです。》