◇◆◇日々のみ言葉
2018年6月6日(水)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章66節~71節】
22:66 夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、集まった。彼らはイエスを議会に連れ出し、
22:67 こう言った。「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」しかしイエスは言われた。「私が言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、
22:68 私が尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。
22:69 しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」
22:70 彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、私はそれです。」と言われた。
22:71 すると彼らは「これでもまだ証人が必要でしょうか。私たち自身が彼の口から直接それを聞いたのだから。」と言った。
◎ショートメッセージ
《今日は、ルカの福音書22章最後の学びとなります。明日から23章に入りたいと思います。
ルカは、ユダヤ人の指導者たちがイエス様に行なった宗教裁判を一つにまとめて書き記したことは、すでに学びました。
この聖書箇所は、三回目の宗教裁判の場面に相当し、その年の大祭司が議長を務めるユダヤ最高議会での裁判にあたります。
イエス様を罪に定め、そして十字架刑に送ったのは、大祭司カヤパです。大祭司は毎年、イスラエルの罪の為に、一才の傷の無い雄の小羊を至聖所に入って屠るのです。
この大祭司カヤパこそが、神様がユダヤ人の中から選ばれた最後の大祭司となるわけです。最もその後も、形だけの大祭司職は続いて行くことになりますが。
聖書には書かれていませんが、復活されたイエス様は、カヤパにも現われます。そのことが、バチカン図書館の第一世紀の公的記録に残されているのです。
驚くべきことに、カヤパの二つの報告書が存在します。もちろん聖書には書かれてはいないことです。
この全文を掲載することは、紙面の都合上出来ませんが、一番驚愕する記事をここに紹介したいと思います。
『私は家の扉に鍵をかけ、守衛の者たちには、「誰も中に入れてはならない」と命じました。部屋には私の妻と義父のアンナス以外は、誰も部屋にはいませんでしたが、私が目を上げた時、見よ、ナザレのイエスが私の前に立っておられました。
私は息が止まり、血は冷たくなり、倒れかかりました。その時、彼は語られたのです。「恐れてはいけません。私です。あなたが私を罪に定めたのは、あなたが自由になるためでした。これは父のみわざなのです。
あなたの唯一間違っていることは、あなたが邪悪な心を抱いていることです。このことをあなたは悔い改めなければなりません。
あなたが殺した、この最後の子羊こそ、世の基の置かれる前に定められた子羊なのです。このいけには、すべての人のために捧げられています。あなたの他の子羊は、それらを差し出した人々の為のものでした。しかしこのいけにえは、すべての人の為のものなのです。これが最後の子羊なのです。
もしあなたが受け入れるなら、それは、あなたの為のものなのです。私が死んだのは、あなたも、また世界のすべての人々も救われる為なのです。」
こう言ってイエスは、溶けてしまいそうな柔和さをもって私を見つめられ、私は涙を流すばかりで、私の力が全くなくなってしまったように思われました。私は死んだ者のようにイエスの足下にひれ伏しました。
アンナスが私を起こした時、イエスは見えなくなっており、ドアはまだ鍵がかかったままの状態でした。彼がいつ、どこへ行かれたのか誰も知る者はありません。』
あなたは、このカヤパの証言を信じますか。私は、信じたいと思っています。この後カヤパは、大祭司を辞任し、その代りにヨナタンが大祭司に就任することになります。
私たちが、信仰の土台とするべきものは、聖書です。これ以上の啓示はありません。しかし聖書が真実であることを裏付ける書物も存在するのです。そして参考にすることは、決して異端ではないのです。
明日から23章に入りましょう。》