◇◆◇日々のみ言葉
2018年6月28日(木)
◎聖書箇所【ルカの福音書23章39節~43節】
23:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。
23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、私と共にパラダイスにいます。」
◎ショートメッセージ
《引き続き同じ箇所からの学びとなりますが、今日でひとまず終えて、明日からは先に進みたいと思います。
今日は、もうひとりの犯罪人について考えて見たいと思います。
このふたりの犯罪人たちは、はじめはユダヤの指導者たちや群衆と一緒になって、イエス様をののしっていました。
しかし、突然ひとりの犯罪人の態度が変わったのです。いや変えられたと言っても良いかと思います。
そしてその原因は、イエス様が十字架上で、最初に発せられた言葉を聞いたからです。
イエス様は、
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」、と言われたのです。
この言葉を耳にしたひとりの犯罪人は、心を打たれ、自分の罪を認め、悔い改め、そして信仰告白に導かれました。
神様の言葉には、何と力のあることなのでしょうか。
さて、十字架につけられた者はすねを折られることになっています。普通は十字架につけられた者は、二、三日は生きていて、苦しみ続けるのです。
特にこの時には、ユダヤ最高の祭である「過越の祭」を迎えており、またあと三時間で、安息日が始まろうとしていました。
よってユダヤの指導者たちは、安息日になるまでに死体を葬ることを願っていたのです。
ヨハネの福音書によれば、
『その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。
それで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。
しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。(ヨハネの福音書19:31~19:34)』と書かれています。
私たちは、このルカの福音書の箇所から、多くのメッセージを聞く機会がありますが、意外と重要な真理を忘れてしまっています。
イエス様は、信仰告白した犯罪人だけの為に十字架にかかられたのではないのです。もうひとりの、イエス様をののしった犯罪人の為にも死んで下さったのです。
その証拠に、イエス様が「完了した」と、息を引き取られた時には、まだふたりは生きていたのです。だからすねを折られるのです。
そうであるならば、もうひとりの犯罪人にも救われる機会が与えられていたことになります。
イエス様が息を引き取られ、彼がすねを折られて窒息死する、その僅かな時間がです。
イエス様の死を見届けたローマ兵の百人隊長はこのように告白します。
『「この方はまことに神の子であった。」(マルコの福音書15:39抜粋)』
この言葉をふたりの犯罪人は聞いています。
もし、この後に、もうひとりの犯罪人が、信仰告白した仲間と同じように、
「イエス様。あなたの御国の位にお着きになるときには、私をも思い出してください。」とつぶやいたとしたら。
いいえ、いいえ。イエス様はすでに死んでいます。遅すぎます。
待って下さい。本当に遅すぎるのでしょうか。
もし、そうであったとしたら、私は彼も救われ、そしてパラダイスに行ったと思えるのです。
明日からは44節に入って行きたいと思います。》