◇◆◇日々のみ言葉
2018年7月16日(月)
◎聖書箇所【ルカの福音書24章12節】
24:12〔しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。〕
◎ショートメッセージ
《さて、引き続き同じ箇所からの学びとなります。
明日は、先に進み、ルカの福音書にだけ書き記されています「エマオの道」について学んで行くことにしましょう。
ヨハネの福音書の同一記事を見たいと思います。
『さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。
「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりは一緒に走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。
シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布と一緒にはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
そのとき、先に墓についたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。(ヨハネの福音書20:1~20:8)』と、書かれています。
マグダラのマリヤの報告を受けて、この時にはすでにゼベダイの家に合流していた十一使徒は、誰も信じようとはしませんでした。
しかし、ペテロは立ち上がって、マグダラのマリヤが知らせたことの真偽を確かめに行ったのです。その後、ヨハネも追いかけます。
ルカは、「かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。」とだけしか書いていませんが、要するに、イエス様の御からだをすっぽりと包んでいた亜麻布は、そのままの状態で、イエス様の御からだだけが、まるで溶けて無くなってしまったように、なくなっていたのです。
それだけではありません。
頭に巻かれたはずの布も、少し離れた場所に、巻かれた状態のままになって置かれていたのです。これは不思議な光景です。常識では考えられないことなのです。
この後、マグダラのマリヤは、墓に戻って来ます。ペテロとヨハネが、墓から去った後、主イエス様は、まず始めにマグダラのマリヤに、復活された姿を現わされます。
『しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
彼らは彼女に言った。
「なぜ泣いているのですか。」
彼女は言った。
「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
イエスは彼女に言われた。
「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」
彼女は、それを園の管理人だと思って言った。
「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
イエスは彼女に言われた。
「マリヤ。」
彼女は振り向いて、ヘブル語で、
「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。(ヨハネの福音書20:11~20:16)』
この後、イエス様は、シモン・ペテロに会われます。》