• 2018年7月23日(月)礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年7月22日第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書14章28節~31節】 (新約p.192下段左側)
    14:28 『私は去って行き、また、あなたがたのところに来る。』と私が言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もし私を愛しているなら、私が父のもとに行くことを喜ぶはずです。父は私よりも偉大な方だからです。
    14:29 そして今私は、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。
    14:30 私は、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼は私に対して何もすることはできません。
    14:31 しかしそのことは、私が父を愛しており、父の命じられたとおりに行なっていることを世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。

    ◎メッセージの概要【この世を支配する者】
    《イエス様と十一使徒は、未だヨハネ・マルコの家にある二階大広間で、一日早い「過越の食事」をしています。イエス様が弟子たちとされる「最後の晩餐」となるのですが、十一人の弟子たちには、まだそれが分かっていません。後に知ることになるわけです。イエス様の愛された弟子ヨハネは、イエス様の右側に座していました。よってこの「最後の晩餐」において、イエス様の言われたすべてのことを、しっかりと耳で、聴き入っていたのです。
     ヨハネの福音書13章から17章までが、それに当たります。
     まず新改訳聖書からの聖書箇所を読みましたが、今回は現代訳を週報に掲載しましたので、比較しながら考えたいと思います。
    「私は去って行き、また、あなたがたのところに来る。」では、イエス様がこのままどこかに行かれるような感じですが、「私はこの世を去ってから、また、あなたがたの所に帰って来る。」では、イエス様が死なれることを明確にしています。そしてそれが「父のみもと」であると言われるのです。
    「そして今私は、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。」
     十字架を指しておられます。
    「私は、もう、あなたがたに多くは話すまい。」
     これは誤訳です。これですと、イエス様は、もう弟子たちには話したくない、と言う意味に取れてしまいます。
     しかし現代訳では、
    「私はもう、余り多くのことを言うことができません。」となっており、弟子たちに話したくとも、話せる時間がもう私には残されていない、と言う意味で、その理由は、この世の支配者である悪魔が私を捕らえようとして来るからである、と言われているのです。
     イエス様は、ここで「この世を支配する者」と言われましたが、これは真実です。四十日における荒野の悪魔の試みにおいて、悪魔は、イエス様にこのように誘惑したのです。
    『悪魔はイエスを連れて行き、瞬く間に世界の国々を全部見せて、こう言った。
    「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」』
     悪魔は、アダムとエバからそれを奪い取ったのです。
     そして最後の晩餐において、イエス様が、「それは私がパン切れを浸して与える者です。」と言われ、それからイエス様は、パン切れを浸し、イスカリオテのユダに与えられた時に、サタン(悪魔)が彼にはいったのです。
     そこで、イエス様はイスカリオテのユダに言われました。
    「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
     この後、ユダはヨハネ・マルコの家から出て行きます。それ故、イスカリオテのユダの中に入った悪魔自身が、ローマ兵や民の指導者と長老たち、パリサイ人や律法学者を引き連れて、やって来るのです。
     確かに、悪魔はこの時には、「この世を支配する者」でした。しかし、イエス様が十字架にかかられ、すべての血潮を流され、死んで下さった時に、大逆転したのです。最初のアダムが、罪を犯して、持っていた権利を悪魔に引き渡してしまいましたが、後のアダムであるイエス様が、十字架において、悪魔の持つ力をすべて打ち壊されたのです。
     そしてイエス様が、三日目によみがえられたことによって、悪魔の最後の武器である死をも打ち破られたのです。十字架こそ勝利のしるしなのです。
     よって、新約時代に生かされている私たちは、どのような存在であるのか、使徒パウロはこのように述べています。
    「あなたがたは、バプテスマによってキリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストと共によみがえらされたのです。
     あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストと共に生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
     神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ)」と。
     またパウロはこのようにも勧めているのです。
    「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。(エペソ)」
     今から二千年以上前の「最後の晩餐」の時には、確かに悪魔はこの世を支配する者でしたが、今現在は、悪魔に奪われた権利を、主イエス様は再び取り戻されたのです。悪魔はすでに敗北しています。世界は、ますます「終わり」に向かって突き進んでいますが、今の時代、悪魔は不法入国のように、この世に居続けています。しかしやがて、主イエス様が本当に王の王、主の主として治める時がやって来ます。
     最後にイエス様は、「立ちなさい。さあ、ここから行くのです。」と言われました。これは預言です。現代訳では、「立ち上がりましょう。さあ、ここから出て行くのです。」となっています。
     私たちは、立ち上がるべきです。なぜなら主イエス様は、すでに十字架において代価を払って下さり、勝利者となられたからです。
     クリスチャンは前に進むべきです。悪魔は、主の許可がなければ、私たちには指一本触れることは出来ないのです。》

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