◇◆◇日々のみ言葉
2018年7月29日(日)
◎聖書箇所【ルカの福音書24章41節~43節】
24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。
24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
◎ショートメッセージ
《週の初めの日が終わる頃、すなわち主イエス様がよみがえられた日である第一日目が終わろうとする夕方のことです。
クレオパ夫妻がエマオから戻って来て、これらのことを話している間に、何と主イエス様ご自身が、突然弟子たちの真中に立たれたのです。
ヨハネによれば、弟子たちはユダヤ人を恐れて、部屋には鍵をかけていたのです。
当然、彼らは驚き恐れて、幽霊を見ているのだと思ったわけです。しかし、マグダラのマリヤ、シモン・ペテロ、そしてサロメとスザンナ、クレオパ夫妻には、二回目になるわけです。彼らは驚くよりも、喜びの声をあげたに違いありません。
すると、イエス様は言われたのです。
「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。私の手や私の足を見なさい。まさしく私です。私にさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。私は持っています。」
そしてイエス様は、その手と足を彼らにお示しになったわけです。
しかしそれでも彼の中には信じることが出来ない者もいたのです。このことから、人間は何と信じることが出来ないのか、疑い深いのかが分かると言うものです。
でも皆さん。
実は、そんな時でも人間は信じているのです。何をでしょうか。それは常識と経験とを信じているのです。自分が経験した来たことと、フィットしなければ、受け入れることが出来ないのです。しかし信仰は違います。たとえ見えなくとも信じるのです。
それ故イエス様は言われました。
「ここに何か食べ物がありますか。」
これは、ユダヤの文化から来るようです。すなわち生きている人間ならば、食べることが出来ると言う方程式が成立しているようです。
ルカの福音書には、
『イエスがまだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人が来て言った。
「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」
これを聞いて、イエスは答えられた。
「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」
イエスは家にはいられたが、ペテロとヨハネとヤコブ、それに子どもの父と母のほかは、だれも一緒にはいることをお許しにならなかった。
人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。
「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」
人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。
「子どもよ。起きなさい。」
すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。
両親がひどく驚いていると、イエスは、この出来事を誰にも話さないように命じられた。(ルカの福音書8:49~8:56)』と書かれています。
つまりヤイロ夫婦も、自分の娘が生き返ったことを信じられなかったのです。それ故、イエス様は両親に、娘に食事をさせるよう言いつけられたのです。
さて、女たちが焼いた魚を一切れ差し上げると、イエス様は、彼らの前で、それを取って召し上がられました。
その時、弟子たちは、イエス様が何度も予告された「復活」を信じることが出来たのです。イエス様が本当に生きておられることを、本当に信じ、受け入れたのです。》