◇◆◇日々のみ言葉
2018年7月30日(月)
◎聖書箇所【ルカの福音書24章44節】
24:44 さて、そこでイエスは言われた。「私がまだあなたがたと一緒にいた頃、あなたがたに話した言葉はこうです。私についてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」
◎ショートメッセージ
《週の初めの日。
すなわち安息日の次の日。
日曜日。
そして主イエス様が復活された日。
今その日が終わろうとしています。ユダヤでは午後6時から新しい一日が始まります。
その夕食を準備している時のことです。
突然、主イエス様ご自身が彼らの真中に立たれたのです。
彼らは驚き恐れて、幽霊を見ているのだと思ったとしても、無理はありません。なぜなら部屋には、ユダヤ人を恐れて鍵がかけられてあったからです。
「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。私の手や私の足を見なさい。まさしく私です。私にさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。私は持っています。何か食べ物がありますか。」
それで、ひとりの女が焼いた魚を一切れ差し上げると、イエス様は、弟子たちの前で、それを取って召し上がられたのです。
この女はマグダラのマリヤではなかったのではないかと、私は思っています。
さて、その次に彼らは何をしたのでしょうか。エマオからエルサレム市内に戻って来たクレオパ夫妻は夕食の途中でした。
そうです。弟子たちや女たちは、イエス様を囲んで、楽しい嬉しい夕食の時を持ったのです。
そのことについてシモン・ペテロは、はっきりと、ローマ・イタリヤ隊の百人隊長コルネリオに証しています。
『「神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました。しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ご一緒に食事をしました。」(使徒の働き10:40~10:41)』
急いで素晴らしいご馳走を用意する女たち。
配膳や、食事の席を整える弟子たち。
そして本当に喜びと平安と希望に満ちた食事が始まったのです。もちろん食事には付きものの美味しいぶどう酒も出されました。
しかしイエス様は、ぶどう酒は召し上がらなかったと私は考えます。
なぜなら「最後の晩餐」の時にこう言われたからです。
『「みな、この杯から飲みなさい。これは、私の契約の血です。罪を赦すために多くの人の為に流されるものです。ただ、言っておきます。私の父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、私はもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」(マタイの福音書26:27~26:29)』
そして食卓を囲みながら、イエス様は旧約聖書から、ご自身のことについて書かれているみ言葉を彼らを説き明かされたのです。
私はクレオパ夫妻は、にこにこしながら聞いていたと思っています。彼らは二回目ですから。
「モーセの律法と預言者と詩篇」とは旧約聖書の別の呼び方です。ここからも、いかにみ言葉が、私たちを勇気づけるか、慰めに満ちているのか、それをイエス様は教えられたわけです。
日々、霊の食物であるみ言葉に接し、上よりの力をいただき、そして新しい一日を乗り切って行くことこそが、クリスチャンライフの醍醐味ではないでしょうか。》