◇◆◇日々のみ言葉
2018年8月9日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き1章3節】
1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、同じ箇所からの学びとなります。
この言葉は、ルカだけが書き記しています。つまり、イエス様は復活されてから、四十日の間、彼らに現われたと言うことをです。
これはどのような意味でしょうか。
私たちは、イエス様が復活されてから四十日目に、弟子たちをオリーブ山に連れて行き、彼らの見ている間に、天に上って行かれたことをすでに知っています。
使徒の働きを執筆したルカにとっても、それは過去形なのですが、この時には、まさかイエス様が四十日目に本当にいなくなってしまうとは、弟子たちには分かっているはずもありませんでした。
しかし主イエス様ご自身は、知っておられたのです。
それは、父なる神様と話し合われた結果かも知れません。あるいは、聖書には「四十日」と言う特別な日数が出て来ますから、主イエス様も、よみがえられてから、地上に留まることを許されていた日数は、四十日と決められていたかも知れないのです。
創世記では、ノアの箱船が百年かかって完成した時に、
『それは、あと七日たつと、私は、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、私が造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」(創世記7:4)』と書かれ、
出エジプト記では、シナイ契約の十戒を授かる時に、
『モーセは雲の中にはいって行き、山に登った。そして、モーセは四十日四十夜、山にいた。(出エジプト記24:18)』と書かれ、
民数記では、カナンの地に斥候を送った時に、
『四十日がたって、彼ら(ヨシュアをリーダーとする十二人の斥候)はその地の偵察から帰って来た。(民数記13:25)』と書かれ、
申命記では、モーセが再度、十戒を授与される為に、
『私(モーゼ)が石の板、主があなたがたと結ばれた契約の板を受けるために、山に登ったとき、私は四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず、水も飲まなかった。(申命記9:9)』と書かれ、
第Ⅰ列王記では、エリヤがアハブとイザベルから逃亡した時に、
『そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。(第Ⅰ列王記19:8)』と書かれ、
エゼキエル書では、神様が預言者エゼキエルに命じた時に、
『あなたがその日数を終えたら、次にまた、あなたの右わきを下にして横たわり、ユダの家の咎を四十日間、負わなければならない。私は、あなたのために一年に対して一日とした。(エゼキエル書4:6)』と書かれ、
そして主イエス様が、唯一引用されたヨナ書では、
『ヨナは初め、その町にはいると、一日中歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と言った。(ヨナ書3:4)』と書かれ、
荒野における悪魔の試みの時には、
『イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。(マルコの福音書1:13)』と書かれています。
このように聖書の至る所に、「四十日」と言う日数が出て来ます。なぜなのかは分かりません。また「四十」と言う数字に、何の奥義が隠されているのかも、私たちには教えられていません。
しかし、何時の日にか、主イエス様にお会いする時には、すべての疑問の答えが与えられると信じています。》