◇◆◇日々のみ言葉
2018年8月26日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き1章15節~19節】
1:15 そのころ、百二十名ほどの兄弟たちが集まっていたが、ペテロはその中に立ってこう言った。
1:16「兄弟たち。イエスを捕えた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊がダビデの口を通して預言された聖書の言葉は、成就しなければならなかったのです。
1:17 ユダは私たちの仲間として数えられており、この務めを受けていました。
1:18(ところがこの男は、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。
1:19 このことが、エルサレムの住民全部に知れて、その地所は彼らの国語でアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになった。)
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。明日は先に進みます。
今日は、18節と19節について、考えて見たいと思います。
ここに「かっこ」が挿入されていることから、この二つの節は、ペテロが語ったことではなく、ルカによる挿入あるいは補足と言うことになります。
ルカは、マタイの福音書の記事を引用したのです。
マタイの福音書には、
『そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。
祭司長たちは銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから。」と言った。
彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。それで、その畑は、今でも血の畑と呼ばれている。
そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。
「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」(マタイの福音書27:3~27:10)』と書かれています。
ルカは、「不正なことをして得た報酬で地所を手に入れた」と書き記していますが、イスカリオテのユダが、イエス様を売った銀貨三十枚で「陶器師の畑」を買ったのではありません。祭司長たちが買ったのです。
また「まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。」となっていますが、イスカリオテのユダが首を吊った後、それを知った祭司長たちが、ユダの遺体を城壁の上から、ケデロンの谷に突き落としたことによって起こったことです。ユダは、おそらく城壁の側に立っていた木に、縄をかけて首を吊ったと思われます。
何度も私は書いていますが、イエス様の御心は、イスカリオテのユダが滅びることではありませんでした。ユダが、ゴルゴタの十字架の御もとに戻って来て、悔い改めることこそが、主の願いであり、思いであったのです。
しかしイスカリオテのユダは、主が十字架上で身代わりの死を遂げる前に、滅んで行きました。
結果的には、聖書の預言が成就してしまったわけです。しかしその結末を選んだのは、神様ではありません。ユダ自身が選択したことなのです。
私たち人間には、選択する権利が、自由意志が与えられています。すなわち、主イエス様を信じて救われ、永遠のいのちをいただき、天の御国に行くことと、主イエス様の救いを信ぜず拒否して、永遠の滅びである地獄に行くことです。
これは二者択一です。中間はあり得ません。選ぶ権利を放棄することは出来ません。人間はどちらかを選ばなければならないのです。
イスカリオテのユダは、残念ながら、悲しい結末を選んだのです。あなたは、どちらを選ばれますか?》